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糖尿病と心のつながり

      2017/01/02

糖尿病と心のつながり

糖尿病と精神状態の密接な関係
ストレスと無縁で生きることはできない

糖尿病の患者さんの背景は、複雑多岐にわたっています。年齢、糖尿病のタイプ、罹病年数、治療法、合併症、遺伝的素因、肥満などさまざまです。
働く時間帯も日勤、夜勤など、内容も事務系、肉体的労働、外勤などさまざまであり、ストレスの程度も外食が多いとか、接待などの宴会の頻度が多い人など、いろいろです。
生活面では独居、同居、単身赴任、毎日が日曜日の人など、環境の違いもあります。
さらに、性格、人生観や死生観も違います。生涯にわたる長年の養生を必要とする糖尿病ですが、画一的な治療方針では解決しないことが多いのです。治療の中断、放置、健康食品への逃避、ヤケクソ、絶望につながらないように個々の治療は「テーラーメイドの医療」が不可欠なのです。人それぞれの人生を送りながら、自然体で糖尿病と向き合っていけば、糖尿病人生も多少は違ってくるでしょう。
糖尿病の治療では、初期治療と治療の継続が極めて重要であり、治療の最終目標はクオリティーオブ・ライフ(QOL=生活の質)を損なうことなく、楽しい人生を送ることです。それにはどうすればよいかを考えましょう。

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慢性病とのかかわり方
数十年間にわたって糖尿病とともに生きている人を診ていると、慢性病とのかかわり方について教えられることが多々あります。治療をうまく継続している人、放置・中断する人、ヤケクソになってしまう人、合併症への不安を抱く人、不治の病気と思い込み悩む人、継続した食事制限や規制から抑うつ状態に陥ってしまう人、ひょうひょうとして、いとも簡単そうに病気と共生している人など、さまざまです。
なかには、病状が悪化することを十分に承知しながらも、過食や不摂生などの行動をやめない人もいます。その原因はいろいろですが、仕事を優先する人は、「わかっているけどやめられない」といいます。不安を抱きやすい人は、いつもビクビクしながら血糖値に振り回されたり、完璧主義の人は、思うような効果が出ないことにいらだち、ヤケクソになって不摂生をしてしまいます。

「糖尿病」という宣告
診断を受けたきっかけとしては、「健康診断でたまたま発見された」「自覚症状があって検査を受けた」「糖尿病の家系だから」「肥ってきたので」「眼科医や婦人科医に指摘されたから」など、さまざまです。
この時期に糖尿病人生のはじまりとして、医療者からどのような説明を受け、治療が開始されたかが極めて重要な鍵となります。

初期の治療で決まる糖尿病人生

糖尿病人生の勝負は初期の治療で決まる、といっても過言ではありません。
医療者の的確な説明や熱意、患者さんの理解と強い意志、これらがうまく結びついているか否かが、糖尿病人生を変えてしまうともいえます。この関係がうまくいけば、糖尿病人生はうまくいきます。
しかし現実は、治療を中断したり挫折する患者さんが多く、糖尿病人生がうまくいっているというのは少ないようです。
病状の改善がままならず、いらだって医療者とトラブルを起こしたり、合併症への不安を訴えたり、さらには無頓着で、放置しておきながら視力が落ちてあわてて病院に駆け込む患者さんもいます。なかには、悪化するのを承知で、ヤケクソな行動をとる患者さんも少なくありません。
また、効果が不明な民間療法に救いを求めて、逆に病状が悪化した患者さんもいます。
とにかく糖尿病の患者さんの人生模様は、多種多様なのです。

重い宣告
「糖尿病」という診断は、実に重いものです。
診断をどのような気持ちで受け止めたか、これは重要な点であり、個人差が大きいのです。
やる気と根性は、長期間の療養や治療に強く影響を及ぼします。医療者はいとも簡単に診断名を告げますが、「糖尿病」という宣告は非常に重いということを自覚しなければいけません。
患者さんのほうも診断されて、「一生治らない病気だ、食事制限もしなければならないのか、好きな物も食べられなくなってしまうのか」など、絶望感や不安感に襲われたり、ときには抑うつ状態に陥ってしまうなど、すべてマイナスの方向に考えてしまう必要はありません。

宣告されたときの患者さんの心境
糖尿病と診断されたときの、患者さんの心境を調査したことがあります。
「とてもショックだった」「やっぱりそうか」「これからのことを思うと不安」「絶望感を覚えた」「眼が見えなくなってしまう」「好きな物が食べられない」「食事制限が情けなくなった」などの心境を吐露する患者さんが、予想以上に多くありました。診断と同時に、最初から糖尿病の合併症をあれこれと考えて、「こわい病気」と思い込んでしまい、暗い人生のはじまりであったという人もいました。

人間は「大切な精神の持ち主」
しかし、「これからは多少の生活規制が必要になるな」くらいの心構えができれば、明るいとはいわないまでも、多少は気分も違うものです。
糖尿病について、はじめにどのような説明を受けたかによって、これからはじまる糖尿病人生に雲泥の差が生じるのです。
糖尿病ではご最初の医療がキーポイントである理由はこうした点にあり、その人の将来をも変えてしまうことが少なくありません。
「人間というのは身体以上に大切な精神の持ち主です。そして人間の精神構造とか、その乱れとしての行動の異常の本質をみようとする努力が少なかったといえましょう」、と日野原重明先生はきわめて重要な指摘をしています(1981年「これからの医療一内科医に必要な精神科の知識」)。
糖尿病は合併症が出てくるとこわい、という身体面での異常を最初から強調することに片寄り過ぎていて、患者さんが個々の生活スタイルを守りながら生きている「大切な精神の持ち主」であることが忘れられているように思えてなりません。
糖尿病と診断されたときの患者さんたちのいろいろな反応と、病気の経過の一部を以下で紹介しましょう。

■症例 絶望感からパニック状態に
社会の第一線で活動していた60歳の知的で几帳面な女性Fさん。糖尿病と診断されてから、病気についての書物を読みあさり、合併症について多くの知識を吸収しました。
どの本を読んでも、おそろしい合併症のことばかりが載っています。「失明するのでは」「尿毒症になるかも」などと、合併症に対してのおそれが先行し、絶望感に陥り、パニック状態になってしまいました。あせればあせるほど泥沼に入り込むようで、何もかもうまくいかず、間もなく仕事も辞めてしまいました。
診断された病気をどのように受け止めるかは、その人の性格、家庭や職場などの環境によって左右され、どこに問題があるかの指摘は難しいものです。
かといって、「性格だから仕方がない」と無視するわけにもいきません。
几帳面で完璧主義の人は、教えられたとおりに食事療法を守ろうとしますが、それが思うようにできないときには、不安やあせりが大きくなります。懸命に養生しているのに血糖値が下がらない、「こんなにがんばっているのに、どうして」と悩み、完璧を求める人の悩みは普通の人より大きくなっていきます。
一方、楽天家の人は、少々の不摂生をしながらも、血糖値にも振り回されずに「まあ、いいか」と気楽に構えていることもできます。
糖尿病での治療において、この「不安・あせり」の差は実に大きいものです。

患者さんから学んだこと

患者さんから学ぶ
人間の精神は、それほど強靭ではありません。
糖尿病人生を快適に生活できるようにするためには、医療者の患者さんの心をのぞく視点や家族のサポートがなければ、長い養生には耐えられません。
几帳面で完璧主義の人にとっては、思いどおりにならない不安定な血糖の変動は納得できません。完全であろうとあせるほどいらだち、怒りが強くなってきます。
医療者からは、血糖値が高いことを指摘され、合併症のこわさを繰り返し説明されます。そんな指摘ばかり受けると、患者さんは不安から絶望へ、そして逃避につながってしまいます。ストレスによっても、血糖値は上がるのです。特に几帳面な性格で完璧主義の患者さんはよけいに影響を受けやすいようです。
このような患者さんから学んだ教訓は、少なくありません。ずっと前のことですが、治療に励んでいる患者さんの心を推し測る努力が足りず、自分の医療者としての未熟さを痛感したことがあります。「生活している人間」としての、耐えられるレベルを超えて指導してしまった患者さんを紹介しましょう。

■症例 完全主義でプライドが高い
52歳で糖尿病と診断された男性、Gさん。性格は几帳面、完全主義、凝り性、一本気でプライドが高く、仕事のできる人と評価も高く、典型的な仕事人間でした。
喉の渇きと視力の低下があって診察を受けたところ、重い糖尿病と診断され、すぐに入院し、インスリンの注射がはじまりました。
これまで、病気らしい病気もせず過ごしてきた彼にとって、糖尿病という診断を受け、即入院、そしてインスリン注射の開始は、晴天のヘキレキどころの騒ぎではありませんでした。入院中は食事量も決められていて、我慢をしていましたが、元来の甘党だったGさんは、かなり悩んだようです。
退院後の食事制限は十分には守れず、血糖のコントロール状態も悪いため、担当医からの注意が絶えなかったのです。ストレスが限界を超えることもしばしばで、療養のことで担当医とのトラブルも多くあったといいます。退院後しばらくしてから、「腹がしめつけられるような感じ」を執拗に訴えるようになりましたが、いろいろな検査を受けても異常は発見できませんでした。
Gさんが65歳になって悶々としていた頃、ある薬(?)を飲むと糖尿病が治るという広告をみて、藁(わら)をもつかむ気持ちで試みました。「そう簡単に治るとは」と、半信半疑のまま誰にも相談せずにインスリン注射を中止して、その薬を毎日飲んでいたところ、しばらくして喉が渇く、体重が減る、全身がだるいなどの、症状が出てきました。

血糖が高くなるときに特有な症状が現れてきたので、あわてて元の病院にかけ込み、すぐに入院するハメになりました。わずか3ヵ月の間に、体重は50kgから38kgになってしまいましたが、インスリン注射を再開してからは、元の状態にまで回復することができました。
71歳のとき、風邪をひいて食事量が少なくなっていたのですが、いつものようにインスリン注射をしていたため、低血糖症により意識がもうろう状態になって、緊急入院したことがありました。入院してから「何となく左足が重い」と感じるようになりましが、主治医からは「糖尿病のため」といわれ、外来通院を続けていましたが、症状は一向によくなりませんでした。
その後、私がかかわるようになりまた。結果は、脳梗塞による左不全麻痺(左の軽い麻痺)で、リハビリと糖尿病治療を目的に入院しました。血糖値の変動が激しくて、コントロールしにくく、夜中の尿の回数も多く、熟睡できていないようでした。
入院中は、栄養指導を受けながら病院の食事をノートに記録し、カロリー計算や食事の内容について、熱心に勉強していました。リハビリも積極的に続けていましたが、思うような効果がなく、Gさんはいらだっていたようでした。
「具合はどうですか」と聞くと、いつも「気分はいい、食欲もある、睡眠も十分にとれている、リハビリの効果も出ている」と、前向きな答えが返ってきますが、事実とはかなり違っていました。
約2ヵ月後、朝と夕方にインスリン注射する
ことを約束して退院しましたが、帰宅後、間もなく奥さんから、「私に対して怒りっぽい、食生活の乱れ(過食)、注射が不規則、息切れ、不眠」などの変化が現れてきたことを知らされました。外来では食事療法も守っているし、規則的な生活をしているので快適です、とまるで優等生のように語っていたのですが・・。
怒りっぽい、不眠、そして検査でも異常のない「息切れ」などの症状から、「抑うつ状態」と判断しました。そこで、患者さんの心をなごませるような精神面への治療もはじめると息切れも軽くなり、不眠もなく夜間の尿も減り、家族からみても活気が出てきました。
しかし、奥さんに対しての怒りっぽさは、相変わらず続いていました。インスリン注射をしながらの療養生活に対して、「もう残り少なくなった人生を、できるかぎり気分よく優雅に暮らさなければ損だから」と、Gさんは当時の心情を吐露していました。
1カ月後、足のむくみがひどくなり、家族と相談して再入院を勧めたところ、本人はかたくなに拒否。そして、今までの生活が一変したのです。洋かんや水菓子を毎日食べるなど、食事制限は完全に乱れ、「死ぬんだ」とか「死んだほうがいい」などの、世をはかなむような言動が目立つようになりました。食生活の乱れはますますひどくなり、怒りっぽく、インスリン注射はしたりしなかったりと、まるで別人のようになってしまいました。
奥さんは「主人は自暴自棄になっているようだ」といっていましたが、その数日後に「非ケトン性高浸透圧性昏睡」で救急入院したのです。

血糖値のコントロールと情動面

情動面とのかかわりに目を向ける
血糖値のコントロールには、ストレスが大きく関与しています。血糖値がうまく下がらない背景には、神経質な性格や不眠などから「抑うつ状態」の存在が疑われます。老年期の身体面での機能低下(喪失感)は、抑うつ状態をともないやすいのです。
糖尿病のような慢性病では、病気の改善に日々の自己規制が重要な鍵になりますが、医療者は血糖のコントロールがままならないときに、食事療法を守らない(守れない)患者さん側にすべての問題があるから血糖値が下がらない、と簡単に判断しがちです。
確かに、自己規制が十分ではないかもしれませんが、医療者は患者さんの心理も理解してあげる必要があります。血糖が高いと、「食事療法を守っていない」「ダメな患者、説明してもわからない」「こんな状態では失明する」などと、いつも強者の立場から患者さんに強制しようとします。
逆に、患者さんの立場からすると、「一生懸命に努力しています」「医者は怒るだけでこっちの事情を理解しようとしない」などの言い分は、しばしば耳にすることです。医師は、患者さんの日々の生活状況を十分に把握し、改善すべき点などを具体的に説明してあげる余裕が必要です。とかく患者さんの言い分は、自分本位のことが多いのも事実ですが、血糖が高くなったからすぐに薬やインスリンの量を増やす、という安易で短絡的な方法は避け、患者さんの情動面とのかかわりに、まず目を向けたいものです。

■症例 精神の安定は血糖の調節に大きく影響
82歳の女性、Hさんが外来に来ました。彼女は、52歳のときに糖尿病と診断され、糖尿病歴30年、合併症はそれなりに認められますが、日常生活はほとんど支障なく送っていました。糖尿病と診断された当時の症状は喉の渇き、倦怠感、体重の減少であったといいます。最初は、経口血糖降下剤で治療していましたが、血糖値が下がりにくいので、インスリン注射をするようになりました。
Hさんは甘い物が好物で、スポーツ万能、活動的で、性格は几帳面で完璧主義、負けず嫌いでいつも上昇志向であった、と自己分析していました。また、「裕福とはほど遠い生活をしながら、苦労して子育てをしてきた」とも話していました。50歳から会社勤めをはじょめ、その2年後に過労で倒れましたが、回復後には転職して、65歳まで仕事を続けていました。
当時、体重44kgの彼女は、「糖尿病は肥っている人のかかる病気だ」とばかり思っていたので、糖尿病と診断されたショックは大きく、沈んだ気分になり、しばらくは家に閉じこもっていたといいます。

友人に勧められて、糖尿病の治療で有名な都心の総合病院に入院し、丁寧な指導を受け、治療に意欲が出てきました。退院後はしばらく家で療養し、職場に復帰しましたが、空直感や倦怠感が強く、ときどき低血糖発作を起こして入退院を繰り返していたといいます。
64歳からインスリン注射を開始。71歳頃、腰や背部の痛みに悩まされるようになり、大学病院へ入院しましたが、痛みが改善せず、72歳のときに自宅に近いという理由で、私の病院に来院したのです。
主な訴えは動悸、息切れ、不眠、腰、背部痛、歩行障害、下肢のしびれ感でした。
身体症状と一致するような検査での異常所見がないにもかかわらず、世をはかなむような言葉が目立ち、「抑うつ状態」をともなった身体的な症状と判断しました。
そこで、精神面の治療を開始したところ、腰や背中の痛みも軽くなり、行動範囲も広くなり、身体症状の改善とともに血糖値も安定し、インスリン注射の量を減らすことが
できました。
精神の安定は血糖の調節に大きく影響しているのです。

症例 低血糖への恐怖
54歳で糖尿病と診断された女性、Iさんも印象的な人でした。性格は強情張り、頑固、几帳面、丸は丸、四角は四角でないと納得できない完璧主義であると、自他ともに認めている人でした。
嘔吐と腹痛で、自宅近くの医院で3週間くらい治療しましたが、症状も改善しないので、ほかの総合病院の外来を受診。彼女は、その時のことを何月何日に受診したと、几帳面に手帳に記録していました。
その病院ではじめて糖尿病と診断され、直後から経口血糖降下剤を飲みはじめました。眼底出血などの異常はなく、当時の症状は倦怠感、喉が渇く、体重減少(51kgから32kgに減る)、手足の痛みがありました。
数日後に入院し、しばらくしてからインスリン注射がはじまりました。最初のインスリンの量は16単位(インスリンの量は「単位」で表します)、その後に24単位に増量されました(血糖値が高ければ注射の量を増やすのが普通です)。
Iさんは、「もともと病気には縁がなく、糖尿病の知識はほとんどなかった」と話します。
視力に異常はなく、食事療法も多少は理解し、十分に病気の説明を受けたので、糖尿病と診断されたときも、平穏に受け止められました。
しかし、入院中に知人から病気の話を聞き、合併症についての本を読んでいるうちに、「糖尿病はそんなに甘い病気ではない」ことを知ったようです。
入院中、糖尿病の男性が院内で自殺した事件がありました。「食事や酒の制限がつらかったのだろう」と推測されましたが、この事件にはかなりのショックを受けたようで、「食事療法もがんぱろう」と覚悟を決めたようです。しかし退院後は、入院中に体験した低血糖症状や低血糖昏睡のことが脳裏から離れず、低血糖への恐怖感におびえるようになりました。
退院後、はじめての低血糖発作を起こしました。その日の夕食の量はいつもより少なめで、明け方に意識がなくなり、2時間くらい(?)経ってから家族に発見されたとのことです。その後も数回の低血糖発作に悩まされ、視力も徐々に低下し、数カ月後には低血糖発作で意識を失って転倒し、大腿骨頚部骨折を起こしてしまいました。
低血糖症への恐怖は、ますます強まるばかりでした。
大腿骨頚部骨折の手術後のリハビリで、歩行も順調になりましたが、退院を目前にして散歩中に昏睡状態になり、「そのときが最高の恐怖であった」とも語っていました。しばらくして、物がほとんど見えないほど視力は低下してしまいました。

個々の患者さんの性格、気質の関係

長期の療養には、多少のガス抜きが必要
糖尿病と闘いながら生活することは、いかに精神を乱しやすいものであるかということは、軽視されやすいものです。
血糖値が乱れる原因はいろいろで、合併症の出現や症状の悪化は、心理的な圧迫につながります。特に、足のしびれや痛み、視力の障害などは直接的な身体面での不安の材料であり、より深刻な問題です。
それに輪をかけて、医療者がいう「血糖値を下げないと合併症がこわいぞ」というような脅しがあります。
患者さんは、百も承知しているにもかかわらず、ままならない血糖値に、あせればあせるほど精神はパニックに陥っていきます。
さらに、糖尿病は心筋梗塞や脳梗塞などの病気も、合併しやすいのです。これらの病気は、身体面で自分は完全ではなくなったという喪失態を患者さんに直接与え、心身両面に強くのしかかってきます。
日々の生活のなかで、これらの現実をどのように受けとめながら対処していくかは、それぞれの患者さんの性格、気質、家庭環境や職業などとも絡んできます。完璧を求めようとする人は少なくありませんが、多少はガス抜きができないと長期にわたる養生は難しいものです。
治療の中断や正しい療養生活の乱れ、ヤケクソ的な行動をとる人の多くは、医療者の求める厳密なコントロールに、より近づこうとしても思ったようにならないジレンマに陥った人たちです。
糖尿病と恐怖や不安などの精神面とのつながりは表面に表れにくく、医療器にとって軽視されやすいのですが、極めて重要なテーマです。

心の治療

古書のなかの「精神について」

精神・心の変化は、なぜ軽視されるのでしょうか。
日本の医療現場では、慢性病で悩む人の心のケアは、あまりにも無視され過ぎているように感じます。
25年ほど前に古書店で入手した本「腎臓病と糖尿病の新治療法』(佐々廉平・森健吉共著/実業之日本社/1935年12月10日発行)を紹介しましょう。
経口血糖降下剤の明らかな有効性が認められるようになったのが1955年ですから、その20年も前に書かれた本ということになります。
読んでみて、今の糖尿病学がいろいろな分野で著しく進歩していることに隔世の感がありますが、一方では、病む人の精神・心理とその理解についての進歩はほとんどないことを、改ためて実感しました。
当時は、治療手段が十分に確立していなかったという時代背景があったとはいえ、古書のなかの「精神について」は非常に参考になりました。精神心理のことは理論的な説明が難しく、具体的な形で評価もされにくいなどの理由から、研究も遅れていたことが考えられます。「既に糖尿病の起こっている人が精神を過労する、殊に悲哀、煩悶、
焦燥などのために心を労すると、糖尿がいっそう増すものです。睡眠不足で終夜悶々として眠れぬときなど、翌日糖尿が増加していることは、しばしば経験するところです」と、情動面の重要性があります。
そんなことは当たり前、という反論もあるでしょうが、今の糖尿病治療ではこの点を無視しているに等しい、といっても過言ではありません。

病む人の精神.心理への対応

治療法の項では、「神経質で夜間安眠ができぬ人は、鎮静剤を用いて神経を落着け、十分眠りをとることが必要。患者の性格や気質を見抜くことが糖尿病治療に重要である」ことが指摘されています。
精神療法についても触れています。
「糖尿と精神状態が密接な関係のあることは、前にも述べた。ところが糖尿病患者は神経衰弱にかかる者が多い。いろいろな精神的打撃、煩悶、焦慮あるいは不眠等のために、糖尿が強くなることは顕著なこと。だから、患者はなるべく精神を過労しないように、仕事と休養とを調節し、夜分も十分の睡眠を取るようにしなければならない。」「食餌に就いても過度に神経質にならないで、病気の重さに応じて許された範囲内で十分いろいろなものを摂るようにするがよい」とあります。
すでにこの時代に精神療法を説いて、心の休養の大切さを指摘し、生活環境や精神の安定に心を向ける必要性を強調しているのです。こうした視点は、非常に重要な問題です。
さて、今の糖尿病治療の現状はどうかといえば、厳格な制限と血糖値を下げなければ、合併症を起こし、視力障害や腎臓障害、さらには壊疽(えそ)で足を切断するようになる、と金科玉条のごとく「脅しの医療」を唱えています。そこには、生活をしながら悩んでいる患者さんの心をなごませる、というような精神・心理面への配慮は、ほとんど無視されています。
「食事療法を守らない、運動を励行しないダメな患者」などとレッテルを貼ってしまう医師が、あまりにも多いのです。
患者さんは、血糖を正常に近い状態にすることの重要性は十分に承知していても、仕事、性格、気質、年齢、家庭環境、人生観などの違いから、うまくいかないのです。日々、いかに生きるか、養生するか、煩悶し、闘っている人の心が、そこでは忘れられています。
うまく養生を継続するコツは、患者さんが精神面でも支えてくれる医療者を見つけ出す眼を養うことです。

人を診ない糖尿病医療の現実

治療時の患者さんの不満
「病気を診て人を診ない」、この類の指摘は多いようです。
よい例が、空腹時の血糖検査のみに重点をおいて、患者さんの日常生活がまったく考慮されていないことです。
たとえば、病院で「血糖値を調べるので、朝食をとらないで来てください」、といわれます。
これでは、いつもは7時前後に朝食をとっている患者さんは、検査を終えた後、普段より2?3時間遅れての食事となってしまいます。
さらに、遠くから食事もしないで来ているのに待たされる、診察では血糖を調べるだけで、症状をちゃんと聞いてくれない、もっと詳しく説明してほしい、あるいは診察の時間が短すぎるなどの不平や不満は、たくさんあるのではないでしょうか。

糖尿病治療から見える医療保険制度の問題点

こうした状況を生みだしている背景には、医療保険制度も無関係ではないかもしれません。
現行の医療保険制度は「出来高払い制」で、薬をたくさん処方し、短時間に多くの患者さんを診察するほうが得策になっています。糖尿病治療においては、最も基本的で、かつ不可欠な生活習慣や食事についての指導に十分な時間をかけても、診察料は極めてお粗末なものです。
本来の治療とは日々の生活スタイル、たとえば職場での運動量、仕事の内容、働く時間帯(日勤、夜勤など)、自宅の様子、外食や宴会のことなどをじっくり聞いて、それぞれの患者さんにあった指導や治療法を一緒に考えるべきものです。
しかし、収入の増えることを優先すれば、十分に話を聞き、栄養指導に時間をかけることは、時間の無駄ということになってしまうのです。
満足のいく治療をするには、専門の栄養士をおいて採算を度外視するしかありません。
糖尿病は、今の医療保険制度の問題点や矛盾を、最も端的に露呈させている疾患のひとつかもしれません。
壮年期から老年期に多い、糖尿病の大部分は2型糖尿病です。それは、食事療法や運動療法、そして経口血糖降下剤の服用で、血糖をうまくコントロールすることが可能であることが多く、治療上では生活や食事指導が極めて重要なのです。
しかし、短い診察時間では説明より薬を処方したほうが、安易で収入増につながる、これが重要な問題点なのです。

グループで療養を学ぶ

情報の交換は、何ものにも優る治療法のひとつ
糖尿病の治療法のひとつとして、グルーブ療法というものがありますが、それはなかなか効果があります。
長期間の生活規制で欠かせないのは、中断することなく養生を持続することで、強い意志と病気への正しい知識が要求されます。ストレスがたまることはもちろんで、それでも病気と共存して生きていかなければなりません。病気と上手にかかわり、自分にあった方法で病気を手なずけていく術を身につけることが、何よりも大切なのです。
やっかいな慢性病と共存している患者さんが、日々の療養法についての情報を交換しあい勉強することは、何ものにも勝る治療法のひとつで、食事療法については、家族や職場の人たちの協力や理解こそが継続する重要な鍵を握っています。
糖尿病治療にたずさわる医療関係者には、医師のほかに糖尿病療養指導士(薬剤師、栄養士、看護師、検査技師ら)が関与して、診察室などでの短い会話で不足した部分を補い、患者さんに納得してもらうようにしている病院が増えつつあります。そして、くどいようですが、満足のいく治療生活を継続するためには、患者さんのみならず、家族の人にも病気について正しく理解してもらうことが必要になってきます。
同じ病気で悩む人たちが語り合える場、病気に対する正しい情報が得られる場、相互の不満も率直にいい合えるような場も必要になってきます。集団治療という言葉が適当かどうかは別として、医療関係者や患者さん、そして家族の人たちが糖尿病人生を語り合える場が必要なのです。

先輩の患者さんから勇気をもらう
かつて10年以上にわたり意見交換の場をもち、病む人の生の声を聞いたことがあります。糖尿病人生を歩みはじめたばかりの患者さんが、長年、糖尿病とともに生きてきた先輩から生々しい生きざまを知らされて、励まされている人もいました。長年の療養に失敗し、合併症で悩む患者さんの声は、診療の現場では伝えられない教訓を与えてくれるものなのです。
集まる患者さんの年齢は、40歳代から90歳代と幅があり、糖尿病人生の長さもさまざまですが、なかでも80?90歳代の人からの発言には迫力がありました。
「朝はご飯と味噌汁、タンパク質は2単位で、野菜は十分に食べています」などと、80歳代の患者さんがスラスラ話したりすると、あちこちで驚きのささやきがはじまります。
受け止め方は個々の人によっていろいろですが、少なくとも患者さんたちには、大きな刺激にはなっていたのです。「私は100歳まで絶対に生きるんや。毎日の散歩も欠かへんし、それなりに食事療法も守っています」と、90歳代の女性が関西弁でまくしたてると、会場が一瞬静まりかえってしまいました。
食事制限を開始して間もない患者さんは、「菓子屋さんの前を通るときは、下を向いて歩いていました」と最初の頃のつらさを語ります。
これには、皆笑いました。ときには「食べたいだけ食べて、楽しく生きたい」などと、本音をもらす患者さんもいます。
会のなごやかさに、不満とイライラは解消されて、2?3時間はあっという間に過ぎてしまうのです。

高齢者と若壮年者との病状の違い

高齢者の糖尿病
高齢者人口の増加により、糖尿病はこれから社会問題化する病気のひとつになると、十分に予想されます。
高齢者と若壮年者の糖尿病には、どのような違いがあるのでしょうか。
ひと言で高齢者といっても、年齢は60歳?90歳代と幅は広く、身体機能面での個人差も著しいものがあります。しかも、いろいろな病気を合併していることも多く、一人ひとりの身体的な特徴によって治療法も違ってきます。血糖をコントロールするには、どの程度の数値まで血糖値を下げるべきかなど、身体的な状態によって治療の目標を設定する必要があり、画一的な治療の基準というものはありません。
治療で重視すべき点は、QOLがどうかということで、これを念頭において臨機応変に対応する必要があります。

高齢期は喪失する年代
糖尿病治療には、食事制限や適度な運動は不可欠であり、生活スタイルを考えて計画的であることが必要です。
食べ過ぎれば血糖は上がり、経口血糖降下剤やインスリン注射の量が増えれば血糖値は下がり過ぎてしまいます。
いつもイライラした気分で生活していれば、血糖値も安定しません。血糖値に影響する因子のなかで、非常に重要でありながら、意外に無視されているのがストレスです。高齢者は、このストレスという点で若壮年者とは大きな差があるので、治療上で配慮が必要になってきます。
「身体的にも精神的にも多くのものを喪失する年代」が、高齢者です。老化現象による身体機能の低下や腰痛、脳血管性障害(脳卒中後遺症)なども増加してきます。独居とか高齢者だけの世帯、社会や友人関係からの疎遠など、とにかく数多くの変化が起こってくるのがこの年代なのです。

糖尿病とうつ病の関係

老年期に多くなる「うつ病」では家族や友人との死別、転居、体の不調など、環境の変化が発病のきっかけになりやすく、若い頃に比べると、身体面や環境の要因が強いといわれています(遺伝的因子による影響は少ない)。
糖尿病などの慢性的な病気が誘引になる「抑うつ状態」は重大な病気なのですが、多くの医療者にはあまり認識されていないのが実情です。老年期の精神障害のなかではうつ病は精神科医の診察を受けない、最も多い病気のひとつです。この期のうつ病の原因としては、慢性病や社会的喪失(病気、死別、引退)などがあげられています。

症例 抑うつ状態で血糖値が高くなった女性89歳の女性Jさんは、79歳のときに糖尿病が発見されました。元来健康で、若い頃はほとんど病気知らずでした。初診時の血糖値は高く、発病はかなり以前からであったと推定されました。
75歳から高血圧の薬を服用し、78歳で白内障手術を受けていました。
Jさんの姉は、20年前に糖尿病で他界していて、病気の恐さは十分に知っていたといいます。
糖尿病と診断されたときの心境を聞いてみると、「何とも感じなかった」と話していましたが、視力の低下もあって、かなりイライラしていたようです。
食事制限は守られず、むしろ過食の傾向で、家族から食事制限を勧められて、よけいに強くストレスを感じていたようです。食事のことは、「すべて嫁さんに任せています」「よくしてくれる」。しかし、「味は薄く、ハッキリいえばまずい」と、かなり厳しい評価でした。夕食は息子の家族と一緒に食べるので、食事の時間は不規則で、待っているだけでイライラし、腹が減って我慢できなくなり、つまみ食いをすることも多かったようです。
けんかもするが、嫁は気が強いからダメなどと、不満をいうこともありました。
Jさんは人に甘え頼るのではなく、自分ですべてを管理したいタイプのしっかり者です。
「嫁にいちいち指図されるのはイヤ」といい、嫁の支配や管理を嫌い、嫁の作る料理に対する不満が絶えません。さらに、食事の時間帯が遅いため空直感も強く、イライラ感がつのって嫁とのトラブルが多くなり、ついつい間食も多くなっていました。
といっても、ひとりでは何もできず、嫁に頼らざるを得ないという身体の衰えは隠せません。
「以前は手芸などもしていましたが、今は目もよく見えないし勘も鈍って、できないのがくやしい。でもしようがない、もう85歳、何もかもあきらめなければしようがない」、とも語っていました。間もなく怒りっぽくなり、病院では穏やかに話しているのですが、家での態度はまったく正反対で困っています、と娘さんがいっていました。
「抑うつ状態」と考え、養生に関する精神面の治療も開始したところ、間もなく怒りっぽさも少なくなりました。
「嫁とはうまくいかないが、自分を抑えています」「まわりの人からあまりに親切にされ過ぎて、頭にくることがあります。何から何までかかわられると、ほどほどにしてほしいと思うこともあります」「あまりものごとにこだわらないようにしています」などと、話に余裕がでてきましたが、日中は嫁との2人暮らしのため、相変わらずトラブルは続いていました。性格は几帳面で、洗濯物を干し、布団をたたむにも、1ミリの狂いもないようにしないと気がすまない完璧主義者なのです。
「抑うつ状態」や不安、イライラ感が強いと血糖値は高くなります。血糖値が良好な人は、コントロール状態の悪い人に比べて不安感や心の葛藤も少ないといわれています。気分良く養生をしていれば、血糖値は安定しやすいのです。

老人とペットとの関係

老年者で、長年独り暮らしをしながら、犬や猫などのペットと深くかかわりながら生きている人は少なくありません。生活のペースを乱されないし、グチをこぽしても尾を振りながらすり寄ってきます。いつも変わらず、機嫌をそこねることもなく、陰口もいわず、話しかければそばに来て耳を傾け、そして孤独感を癒してくれます。
人はペットとの生活で、どれほど安らいでいるか、計り知れません。ときには、病気をも癒してくれます。
老人の孤独感の背景には、社会環境の変化からくる人間関係の希薄さなど、さまざまな要因が影響しているように思います。このことは、独り暮らしの老人に限ったことではなく、家族と同居している老人たちにも十分にあてはまるのです。

■症例 ペットの死で、ショックと精神的混乱を引き起こす
78歳の女性、Kさんの話です。
Kさんは、数年前に糖尿病と診断されましたが、自宅が当院に近いので、紹介され来院しました。胸の痛みや圧迫感などの症状があり、狭心症といわれたといいますが、はっきりした心電図の変化はありません。
飲んでいた薬は、経口血糖降下剤(血糖を下げる薬)、精神安定剤、血圧降下剤でした。
前の病院の主治医は、狭心症のような症状は心因性で、心理的な問題と判断していたようでした。心臓について検査をしましたが、異常はありません。やせ気味で糖尿病の状態もそれほど悪くはなく、病状は安定していました。
ところが、数カ月して、急に血糖値が高くなりはじめたのです。それまでは養生を怠るようなこともなかったのに、ある時期から食事制限や散歩などもいい加減になり、療養の乱れがあらわれはじめ、眠れない夜が多かったといいます。
急に病状が悪くなった背景には、何か家庭内で問題がなかったか否か、それとなく聞いてみると、息子夫婦と孫と同居していると話してくれました。ごく普通の家族構成ですが、どうも家族内でトラブルが起こっているらしいことがわかりました。
Kさんは60歳後半で夫と死別し、息子夫婦と同居するようになったのですが、夫の死後から嫁の発言力が強くなり、冷たくあたられることが多くなってきたといいます。「息子は嫁に頭があがらないから、何もいえない」と嘆いています。台所は1カ所なので、調理は時間をずらして同じ台所を使い、食べるときはKさんひとりです。
足腰も健康だった頃は何の心配もなかったのですが、散歩中に転んだのがきっかけで足腰の痛みに悩まされるようになり、出かけるところも限られるようになってしまいました。それでも何とか買い物、愛犬との散歩などで気を紛らせていましたが、こうした生活は長くは続かず、だんだん料理を作るのがおっくうになり、コンビニの弁当などですませてしまうことも多くなってきました。
「(お嫁さんに)頼んで、一緒に食事をしたら」と勧めると、「仲は最悪だし、とんでもない」と、まったく取りあってくれません。「(同じ家に住んでいながら)会話やあいさつはないんですよ。廊下ですれ違っても無視、ときにはいびられる」と。とにかく険悪な関係でした。
これは、あくまでも姑の立場からの声ですが、かなり険悪な仲だったことは事実でしょう。何度か有料の老人ホームヘ人ろうと考えたらしいのですが、いろいろな事情を考えると決断がつかなかったといいます。
こうしたストレスのなかでは、糖尿病の治療もうまくいくはずがありません。血糖値が急に高くなった背景には、こんな事実が隠されていたのでした。
毎日、精神安定剤を飲んでいましたが、状況が改善しないかぎり、心の安定は得られるものではありません。
食生活が乱れていた頃の食事の内容は、療養などとはほど遠いものでした。朝食は軽く、パン、もち、果物、牛乳などですませ、昼はほとんど外食でめん類が多く、夕食は食べる時間も不規則で、主にコンビニの弁当を買ってすませていました。家族は何もいわなかったようです。
糖尿病は、生活習慣病の代表的な病気で、基本的な治療は食事制限、運動、そして薬物療法です。さらに、情動(気分)の安定が何より不可欠です。どれかひとつでも欠けると、良好な血糖値を維持するのは難しくなります。
Kさんは、嫁とのトラブルで不愉快な日々をずっと過ごしていました。気分は憂うつで、毎日がイライラの連続、生活リズムが乱れ、食生活はヤケクソで不摂生となりました。そして、逃避のための旅行や外食で気を紛らす生活をしていました。
ある日、さらにショッキングなことが起こりました。愛犬が死んだのです。Kさんの話によると、10年以上可愛がっていた犬で、散歩するのも買い物に行くにも、いつも一緒だったといいます。会話のない自宅での生活で、心を癒してくれるのは、いつも体をすり寄せてくる愛犬だけでした。数日前、その愛犬が病気で苦しがっていたので安楽死させた、と涙ながらに話してくれました。
それからはショックと精神的な混乱で、とても療養生活など守れる状況ではなかったのでしょう。
間もなく、食欲がなくなり、ほとんど眠れない日々が続き、目まいのために歩くのにもふらつく状態でした。倦怠感も強く、喉の渇きもひどくなりました。血糖値が高くなったので入院を勧めましたが、もう少しがんばってみるといって拒否されました。
しかし、家では果物や菓子類を大量に食べたり、薬物(インスリンの注射)を中断したり、むちゃくちゃな食生活だったらしいのです。
Kさんは、程なく血糖値が高くなって、昏睡状態で救急入院したのでした。

精神と血糖値

精神面での虐待
高齢者が慢性病の療養を継続していくためには、いろいろなストレスをいかにして回避するかが、極めて重要なテーマです。
先に紹介した患者Kさんの場合は高齢、毎日の生活の規制、定期的な診察、嫁とのトラブル、最も身近で信頼できた愛犬の死などが誘因となって抑うつ的になり、ヤケクソになってしまったといえましょう。
血糖の安定には、心理面での安定が極めて重要な因子です。社会や家庭での依存を余儀なくされている高齢者を、このような状況に追い込んでしまうのは、精神面での虐待ではないでしょうか。
Kさんのような患者さんについては、病状や生活面だけをみていれば、「不真面目な患者」というレッテルが貼られてしまうかもしれません。
しかし、背景には、こうした生活に追い込んでしまった環境があったのです。高齢者の医療では、決して無視できない側面です。

精神と血糖値の連動
精神と血糖値の変動についての研究は、とても遅れています。糖尿病専門医でも、こうした点に関心を示すことは、決して多くはありません。精神面の変化は数値で評価して、誰にもわかるように表現することが難しく、学術的な興味がわかないのも一因かもしれません。
「血糖値を制御する」という表現があります。
これは運動、食事、経口血糖降下剤やインスリン注射で血糖をコントロールができる、ということですが、情動(気分)面の変化を無視しては、血糖値をうまくコントロールすることは不可能です。
糖尿病医療のなかで、こうした側面にも眼を向けることが常識化すれば、血糖コントロールや合併症の予防にも大きく貢献することになるでしょう。
医療者が慢性病で病んでいる患者さんの精神に注目して、「抑うつ状態」の存在に早く気づくような幅広い治療を心がけるようになれば、患者さんの直接の利益にもつながります。地味で評価されにくいこのような分野の研究が、今後の治療医学では極めて重要になります。

民間療法に走る

悩む人の心を惑わす、あの手この手の情報
糖尿病は完治する病気ではないので、うまく養生しながら血糖をコントロールし続けなければならず、無視していれば合併症を引き起こすことになります。
しかし、それなりの知識と養生法を身につけて生活していれば、健康な人と変わらない生活ができます。
糖尿病にとって油断は禁物で、生涯病気とつきあいながら、定期的に血糖を調べて、いつもよりよい状態を保つように心がける必要があります。とはいうものの、規則的な生活、食事制限や適度な運動の継続は、患者さんには心身両面で大きなストレスになるものであり、本当にやっかいな病気です。
患者さんは誰でも、早くよくなりたいと考えます。どこからともなく聞こえてくるいろいろな情報や噂には敏感になります。新聞、雑誌、テレビなど、あらゆるマスコミやロコミも重要な情報源であり、いつも広範囲に鋭敏なアンテナを張りめぐらしています。
「効果抜群の特効薬」があると聞けば、一度は試してみたくなるのは患者さんに共通した心理です。特効薬を手に入れるために、アジア各地へのツアーを計画して大金をつぎ込み、数年分の漢方薬を買ってきた人を診察したことかあります。
情報の内容はあやしいもの、それなりに理屈に合ったもの、理屈抜きで昔から効果的であると信じられているものとさまざまですが、糖尿病の特効薬の種類は、ほかの病気の追随を許さないほどたくさんあります。
「○○○は糖尿病に効く」とか、「わたしはこうして糖尿病を克服した」という体験談が広告に使われるなど、宣伝の方法もいろいろで、この類の怪情報は巷に溢れ、病気で悩む人の心を誘惑します。
テレビの健康情報番組を見て、結果として、血糖値を上げる原因になる食べ物を毎日食べているというような人もいます。

基本的な治療は中止してはいけない
「民間療法」とは、「広辞苑」によると、「医師によらず一般民間で伝承または発見した方法によっておこなう疾病治療法」とあります。
現代の医学で解明されていない治療法は数多くあり、古くから伝わる秘伝薬とか、理由はわからないが、特殊な効果を発揮する薬草などもあります。なかには、本物ともいえる薬もあるかもしれませんが、それを探し続けるのはエネルギーの浪費です。
「東洋医学や民間療法を全面的に否定するわけではないにしても、素性の知れた現代医学に任せた方がはるかに安心」(砂原茂一氏)なのです。少なくとも、医学的に効果が証明されている基本的な治療法を中止して、民間療法のみに頼るのは間違いです。基本の治療をおろそかにして、こうした療法のみに頼ろうとするのは危険極まりありません。
これはなにも糖尿病にかぎらず、すべての病気にあてはまることです。

医学的に証明されていないものが多い
糖尿病の民間療法の実態を調査した統計資料は非常に少ないのですが、現代医学は決して万能ではないので、民間療法はなくならないでしょう。慢性病の人の心理をうまくつかんだ商売は、弱みをもった人には心理的効果はあります。しかし多くは、医学的に確かな効果が証明されていないことが多いのです。
どのようなものが民間療法として利用されているのか、新聞広告や患者さんから聞いた話などを集めてみると、アロエ、クロレラ、あま茶づる、笹の葉、玉ねぎ、蜂蜜、○○茶、ある種の漢方薬など、実に多種多様です。一般的に値段の高いものが多く、通信販売が少なくありません。多くは、「長期間飲まないと効果が出ない」「医学的な裏付けや説明が抜けている」などの共通点をもっています。

試してみたくなるような宣伝文句
ある患者さんが常用していた「熊笹の葉」の効能書の一部を、抜粋してみましょう。
『熊笹の葉の特効』とあり、「標高1700メートル以上の熊笹に特効あり」「紫外線の強い海抜○○メートルの○○温泉山中の熊笹こそは、成分含有満点」とあります。この「笹の葉」は、ちょっとそこらに生えている葉ではない、といいたいのでしょう。
さらに、「タンパク質、アミノ酸、カルシウム、ビタミン、ミネラル、葉緑素」などの言葉が、説明書のあちこちにちりばめてあります。
また、回般的な効能としては糖尿病、高血圧、ぜんそく、風邪、肝臓病、リウマチ、皮膚病、疲労回復、ガン、痔と多用」とあり、慢性病や、いまだ特効薬もないような病気までが連記してあって、何となく試したくなりそうな説明なのです。説明文は、法律に触れるような言葉、たとえば「糖尿病に効く」などとは書いてありません。
最後には、「お茶がわりに常用すれば健康忽ち快適」「殊に糖尿病重症のお方でも、これを3ヵ月続けると8から9分通りのお方が全治します」(医薬品医療機器法(薬事法)に違反しそうな文章)と続いています。
糖尿病で長く悩んでいる人は、誘惑に駆られやすいものです。しかし、基本的な治療は絶対に無視しないということだけは、ぜひ忘れないでほしいものです。

ペットボトル症候群に注意

中高年で増加中の糖尿病
中高年で著しく増加している糖尿病は、やっかいな慢性病です。食べ物も豊富で交通網も行き渡り、車の利用も多く、結果、運動不足による肥満やストレス過剰などの生活習慣の変化が誘引のひとつと考えられる2型糖尿病です。
糖尿病は、糖分(ブドウ糖)がエネルギーとして体内にうまく利用できなくなった状態で、血液中のブドウ糖(血糖)濃度がいつも高くなっている状態です。
食べ過ぎと運動不足、これらが要因となり引き起こされる糖尿病は、中高年になると発症が多くなりますが、若者も例外ではありません。

ブドウ糖含有量の多い飲料水の多飲
ペットボトル症候鮮
「ペットボトル症候群(または清涼飲料水ケトーシス)」という異常があります。これは、ブドウ糖が含まれている飲料水の飲み過ぎが原因で急激に血糖が高くなり、意識の障害を起こすものです。
1993年に「ケトーシスを伴って急性発症する肥満NIDDM症例、清涼飲料水ケトーシス」と題して、NIDDM(インスリンの注射を必要としない糖尿病、いわゆる2型糖尿病)の素因をもっている人が、血糖が高くなっているのに気づかないで清涼飲料水を多飲することの危険性が発表されました(久留米大学内分泌代謝内科・山田先生他『糖尿病』36巻(6)P469)。
発表のなかで、清涼飲料水ケトーシスは、男性が女性の4倍と多く、年齢は15?67歳と幅広く、平均年齢は31歳であった、と報告されています。症状の特徴は急激な体重減少で、減少前の体重の平均は男性では97・5kg、女性では76・2kgと肥満の人が多く、ケトーシスを起こした人で、以前糖尿病と診断されていた人は少なく、ほとんどがケトーシスを起こして初めて糖尿病と診断されていたといいます。ケトーシスの治療は、初めは大部分がインスリンの注射が必要でしたが、治療を始めてから1カ月以内には、食事療法だけで血糖は調節されるようになったとのことです。

清涼飲料水の飲み過ぎによる糖分の大量摂取が原因

発症前の食生活を調べてみると、食事量や間食が多く、さらにブドウ糖を含んでいる清涼飲料水を多量に飲んでいました。その量は1日に0・7?4リットル、平均で2・2リットルと多く、飲んでいた期間は3週間から3年で、平均5ヵ月でした。発症は9月に多く、夏に大量に飲んでいたのが原因と考えられました。
人間が1日に必要とする糖分は、20?40gです。清涼飲料には、100ミリリットルに約6gの砂糖が含まれていますから、仮に1日1リットル(1000ミリリットル)の清涼飲料水を飲むとすれば、すでに60gの糖分を摂取していることになります。清涼飲料を水代わりに飲んでいる若い人は、1日2リットルくらいは飲んでいるのではないでしょうか。これでは、糖分過多でおかしくならないほうが不思議でしょう。

ケトーシスの特徴をまとめてみると、次のようになります。
①若い男性に多い
②新たに発症する人が多い
③糖質の過剰摂取(グルコース毒性)
④内因性インスリンの分泌は保たれている(膵臓のB細胞の機能が完全に駄目なのではない)
⑤食事療法がよく効く

■症例 水代わりに清涼飲料水を飲んでいた32歳の男性
親が糖尿病という遺伝的な素因をもっている
32歳の男性が、糖尿病の治療のために来院しました。
若い頃から清涼飲料水は習慣的に飲んでいて学生時代は運動量も多かったのですが、社会人になって運動する機会が減ったにもかかわらず、清涼飲料水は同じようなペースで飲んでいました。通勤の途中に缶コーヒーやジュースを、家に帰ればペットボトル(ブドウ糖入りの飲料水)を水代わりに飲んでいたといいます。20代の体重は62kg、運動をやめてから太りだし、最高で85kgにもなったといいます。身長が170mですから、かなりの肥満です。
運動をしないので太ったと自己判断をしていましたが、社会人になってからは、月に1回のゴルフと、練習場にたまに行くくらいの運動量でした。
来院の数カ月前頃から、体重の減少が始まりました。食べている量は以前とほとんど変わらないにもかかわらず、体重が減り、全身がだるく、喉がやたらと渇きました。仲間からは「ゲッソリしてきた」などといわれ、健康診断を受けに来たのです。
結果は「見事な糖尿病」で、すぐに薬(経口血糖降下剤)を飲み始めました。
食事の説明は受けていましたが、清涼飲料水については注意されていなかったので、あいかわらず飲み続けていました。血糖値も下がらないし、症状がいっこうによくならないのは当然でした。空腹での血糖は528mg/dl、グリコヘモグロビン=HbAlc(正常の上限は5・8%以下)が17・2%と、異常に高い数値でした。体重は、急激に63kgまで減少しました。
食事の量はかなり減らしていましたが、毎日、清涼飲料水をペットボトルで大量に飲む習慣は変わっていませんでした。
そこで、すべての清涼飲料水を飲むことを中止して、食事は1600キロカロリーくらいに減らすように、栄養士に指導を頼みました。
その結果、1カ月後、減食のみで血糖は130mg/dl前後にまで下がり、半年後の体重は66kgに増えました。その後の血糖は、食事療法のみで良好な数値で推移しています。

症例 1日2リットルの清涼飲料水を飲む
次は、45歳の男性です。
人間ドックを受けた43歳当時の体重は80kg、身長は166m、太り気味で軽い糖尿病と高脂血症を指摘されていましたが、放置していました。まもなく、喉の渇き、だるさ、夜中にトイレに2回起きる、尿量も多いなどの症状が現れ、わずか1カ月で83kgの体重が76kgに減ったため、外来に来ました。
猛暑で喉が渇くため、スポーツドリンク、コーラ、缶コーヒーなどのブドウ糖が含まれている清涼飲料水を多く飲むようになり、1日に2リットルくらいは飲んでいたようです。本人はテニスをしていたので、特に喉が渇くといっていました。
兄弟に糖尿病患者がいたので、肥満には注意するよういわれていたらしいのですが、症状もなかったため、糖尿病は無視していました。
空腹時の血糖は300mg/dlと高く、清涼飲料水の飲み過ぎが高血糖の原因でした。すぐに飲料水の多飲を中止し、食事制限を指導したところ、3週間後の検査で食後1時間の血糖が240mg/dlと改善しました。
以上の若者と中年の2人とも、意識障害まで起こすような典型的なペットボトル症候群ではなかったのですが、その寸前かそれに近い状態でした。大量のブドウ糖含有の清涼飲料水を継続的に飲んでいたために、膵臓の機能が弱ってしまい、「2型糖尿病」を発症したのです。

飲料水の情報を正しく伝える

飲み過ぎて健康を害す
清涼あるいは健康飲料水は、幅広い年齢層に飲まれています。特に若い世代では、日常的に多飲しているようです。しかし、飲料水に含まれているブドウ糖の量やキロカロリー(エネルギーの単位)の表示がないことが多く、仮に表示されていても、小さな文字で目に入らないのが多いようです。飲む人も、ブドウ糖が含まれているかどうかには無関心、無頓着です。
日本中どこにでも自動販売機があり、手軽に手に入るため、飲み過ぎで健康を害している人も決して少なくないだろうと推測されます。
ある資料によると、清涼飲料水1缶のエネルギーは、砂糖の25?30gに相当するといいます。
ちなみに、砂糖の20g(小さじI杯は3g。20gは小さじ7杯弱)は、80キロカロリーに相当します。1日でI・5リットル(1500cc)のペットボトルを飲んでいれば、普通の缶では5缶くらい(1缶が300cc前後)飲んでいることになり、砂糖に換算すると120?150gも摂っているのと同じことになります。これでは太るのも当然だし、膵臓の機能が弱ってしまいます。
ペットボトル症候群は、ブドウ糖を多く含んだ清涼飲料水を過剰に飲み過ぎて、膵臓の機能が弱まり、その結果として起こる「高血糖」が引き起す異常な状態なのです。
若者や青壮年者に急激に増え続けている糖尿病発症の原因のひとつに、自動販売機などによる清涼飲料水の氾濫があるといえるでしょう。
しかも、大部分の清涼飲料水のなかに、多量のブドウ糖が含まれていることを知らない人があまりにも多すぎます。それなりの知識をもっていないと、「ペットボトル症候群」にならないまでも、肥満、糖尿病、高脂血症などの誘引になりやすいのです。水代わりに飲むような悪習慣は、絶対に止めるべきです。

表示の義務付けが必要
山田先生らは、ペットボトル症候群のような症例が「全国的に増加していると考えられる」として、その背景には清涼飲料水の自動販売機が普及し、さらには350ミリリットル程度の缶や、1・5リットルボトルが増えてきたことをあげています。さらに、「糖尿病に関する正しい知識の普及が不十分であることを示す病態ともいえよう。診断が遅れれば生命にかかわりうる危険な病態ですので、警鐘のためにも『清涼飲料水ケトーシス」と称することを提案したい」、と述べています。
清涼飲料水を口にする時は、ブドウ糖がどれだけ含まれているかを確かめるべきです。また、販売を許可する国は、それぞれの清涼飲料水のキロカロリーやブドウ糖含有量について、目立つところに大きな文字での表示を義務付けるべきではないでしょうか。厚生労働省は、糖尿病などの「生活習慣病」の予防には必死ですが、原因につながる肥満を助長している飲料水について、情報を正しく伝えていないのは片手落ちといえないでしょうか。

飲料水だけではない!危ないケーキバイキング?
日本は、まさに飽食の国です。至るところに食べ物が溢れています。
ホテルのロビーなどで、昼間に開かれるケーキなどスイーツが食べ放題の「ケーキバイキング」とやらは、女性にとても人気があるとのことです。甘いものに眼がないという人たちには、こたえられない場なのでしょう。
甘いもの大好きを自称している50歳半ばの女性が来院しました。
糖尿病の友人が血糖の自己測定(自分で測る)をしていた際、ついでに測ってもらったところ、友人に「大変だ、すぐ病院に行きなさい」と、その場で忠告されたといいます。「私より血糖が高い、糖尿病だ」といわれ、半信半疑で受診に来たのです。
食事をしないで来院した時の血糖は322mg/dl、ほとんど自覚症状はありませんでしたが、「食べても太らない」「数キロやせた」と話します。甘いものが好きで、アイスクリーム、ソフトクリーム、モナカ、ケーキなどを、日常的に5?6個は食べていたらしいのです。
グリコヘモグロビンは12・7%、立派な糖尿病でした。さっそく食事の改善とインスリン注射による治療を開始しましたが、いまだに経口血糖降下剤は中止できない状態でいます。
ケーキバイキングも、清涼飲料水の多飲も、どちらも糖分の過剰摂取が原因となり、糖尿病を引き起こしたものです。習慣を変えることで治ることが多いのですが、長年による過剰摂取で引き返せない状態になってしまった人も、残念ながらいます。

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