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糖尿病薬 メトホルミン

      2016/02/02

糖尿病薬 メトホルミン

なぜ、糖尿病は治らないのか

「なぜ、糖尿病は治らないのか」
素朴な疑問です。
糖尿病が、原因すらわからない難病奇病だというのならともかく、現代医学は発
病の原因からメカニズムまで、すべてを解明しているのです。
それでも治らない。
いや、治るどころか、糖尿病患者は増える一方です。

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原因が解明され、治療法が確立されても、それでもなお糖尿病は治らず、増え続
けているのです。何百万人という患者さんが、合併症の恐怖に怯えながら、薄氷を
踏むような気持ちで毎日を生きているのです。
繰り返します。
糖尿病の原因はハ。キリしているのです。
治療法も確立されているのです。
それでも治らない。
不思議だとは思いませんか?
言い換えれば、この「疑問」に対する答えの中にこそ、糖尿病治療のカギがある
ということになります。
それでは、順を追ってその「答え」を説明しましょう。

▼知っていながら挫折する患者たち
糖尿病をひと言でいえば、血液中の糖が多くなる病気です。
くわしくはあとで説明しますが、要するに、検査して「血糖値」が高ければ糖尿
病というわけです。
原因は、ストレス・食生活・運動不足?。糖尿病が「生活習慣病」と呼ぱれる
のは、原因の多くが日常生活にあるからです。
ならば治療は簡単で、
「生活習慣を改善すればいい」
ということになります。
実際、糖尿病の治療は、食事療法と運動療法が中心です。栄養のバランスを考え
つつ、一日の摂取カロリーを健康人の半分から三分の二ほどに減らし、軽い運動を続ければ血糖値は下がるというわけです。
理屈はそのとおりです。
しかし、理屈がそうだからといって、現実にそれが実行できるかどうかは、別問
題になります。
たとえば、ダイエットがいい例です。量を減らし、低カロリーで栄養のバランス
がとれた食事を摂れば痩せるとわかっていても、ほとんどの人が空腹と誘惑に耐え
かね、途中で挫折してしまいます。
糖尿病の患者さんもそれと同じで、食事療法の正しさをわかってはいても、それ
を継続するのは至難のわざなのです。
「ちょっとくらい」
「明日から」
自分に言い訳しつつ、やがて糖尿病は深く静かに潜行していくのです。

▼自覚症状に乏しい病気
目の前に毒を出されて、それを口にする人はいません。
即刻、死が待っているからです。
ところが糖尿病患者は、過食が「毒」であると知りつつ、口にしてしまいます。
なぜか。
死ぬとは限らないからです。
いや、死ぬとは思わないからです。
糖尿病の怖さは、まさに、ここにあるのです。
これと似たケースに、「カエルの釜茹で」があります。カエルを熱湯の中に放り込
むと大暴れします。ところが、冷たい水を張った器の中にカエルを入れ、少しずつ
熱を加えていくと、カエルは暴れることなく静かに釜茹でになって死んでいきます。水から熱していくため、身体が熱さに慣れていって、気がついたときは手遅れ
というわけです。
糖尿病も同様です。自覚症状に乏しいことから、どうしてもたかをくくってしま
いがちで、合併症を併発して手足の切断、失明、心筋梗塞など糖尿病の恐ろしさを
知ったときは、時すでに遅し。カエルの釜茹でになってしまい、あたら人生の
幕を閉じることになるのです。
では、つらい食事療法に耐え抜けば、糖尿病は治るのでしょうか。
残念ながら、答えはノーです。
食事療法というのは
ここが糖尿病治療をめぐる重要なポイントですが
カロリー制限をすることによって血糖値を下げているだけであって、過食すればすぐ
に元にもどってしまうのです。
乱暴に言ってしまえば、
「一生、低カロリーで生活しろ」
というのが食事療法の本質なのです。

▼血糖値を下げれば、糖尿病が治るのか
食事療法の理屈は簡単ですが、しかし考えてみてください。
実際に経験した人はすでにおわかりのように、カロリーブックとニラメッコしな
がら、低カロリーでバランスのよい食事を毎日、三度三度
それも生涯にわたっ
て継続するには、強靭な意志と、職場や家庭など、環境がきちんと整っていなけれ
ば不可能です。
かくして、それが悪いことと知りながら、
「ちょっと食べ過ぎたけど、まっ、いいか」
と、自分に言い訳しつつ、やがてカエルの釜茹でになってしまうのです。
食事療法に挫折し、糖尿病が進んだ人はインシュリン注射です。糖尿病は、膵臓
から分泌されるインシュリンの量が少ないために起こる病気ですから、強制注入によって補うわけです。そうしないと命にかかわりますから、ほかに選択肢はありま
せん。
しかしインシュリン注射を打ち始めると、毎日毎日、一生、打ち続けなければな
りません。外部からインシュリンを注入されることで、膵臓の分泌機能はますます
低下していくからです。
「糖尿病とは、生涯を通じて二人三脚」
と言えば聞こえがいいですが、なんのことはない。インシュリン注射によって生
かされていると言っていいでしょう。
すなわち現在の糖尿病治療は、「血糖値の上昇=糖尿病」ということから、血糖値
を下げることを目的にしているのです。
では、血糖値を下げれば糖尿病は治るのでしょうか?
これも答えはノーです。
糖尿病が治れば血糖値は下がりますが、逆に、血糖値を下げたからといって、糖
尿病が治ったことにはならないのです。たとえていえば、「風邪」と「熱」の関係と同じです。風邪を引けば熱が出ます。しかし、薬で熱を下げたからといって風邪が
治ったことにはなりません。「風邪」という根本治療をしない限り、また発熱するか
らです。
これを「対症療法」と呼び、西洋医学の根幹を成すものです。
糖尿病も同じで、いくら血糖値を下げても、糖尿病に対する根本治療をしない限
り、それは治ったということにはならないのです。
「血糖値を下げること」と「糖尿病が治ること」とは別問題なのです。
糖尿病患者の不幸は、両者を混同し、血糖値を下げることばかりに目がいって、
「糖尿病」という元凶の治療を忘れていることにあるといっても過言ではありません。
繰り返します。
血糖値を下げることに成功しても、糖尿病は治らないのです。
言い換えれば、糖尿病は、一〇人に一人というポピュラーな病気でありながら、
現代医学の治療法では対処しきれない不治の病ということになります。

メトホルミンが糖尿病患者を救う

では、不幸にして糖尿病と診断されたら、どうすればいいのでしょう。血糖値に
一喜一憂しながら、食べたいものを我慢し、好きなお酒も断ち、不治という十字
架を背負って、残りの人生を生きていかなければならないのでしょうか。
いえ、そんなことはありません。『メトホルミン』を服用すると糖尿病に打ち勝つ身体になります。血糖値を上げる元凶ーすなわち糖尿病の根本治療に作用します。事実、『メトホルミン』を飲んだいま糖尿病患者にとって最も
大切なことは、百万言もの「理屈」ではなく「事実」なのです。「メトホルミン」
を飲めば、糖尿病がどうなったのか、その具体的事実です。
次に紹介するのは、『メトホルミン』で救われた方々の体験談です。

『メトホルミン』が一族の天敵である糖尿病から救ってくれた
東京都・五十嵐健児(雑誌編集者・三六歳)
「糖尿病です」
と医師から伝えられたとき、ついに来たかというショ。クを受けました。
祖父も父も糖尿病で亡くなりました。糖尿病体質は遺伝すると聞いていたため、
いつか私も糖尿病になるだろうと覚悟していました。しかし、三〇代半ばの若さで
なるとは。兄弟はなく六〇歳を過ぎて年金暮らしに入った母との二人暮らしです。
私に万一のことがあれば、母の面倒を見る人は誰もいません。
帰宅後、母に糖尿病になったと報告しました。
一瞬、母の表情が曇りましたが、すぐに明るい声で、
「糖尿病は完治はしないけれど、食事や運動などの生活に気をつければ大変なこと
にはならないわよ。上手に病気とつき合っていきましょう」と、励ましてくれました。
母は祖父、父と糖尿病患者を世話してきただけあり、手慣れたもので、その日か
らさっそく糖尿病食を用意してくれました。
朝出動して夕方に帰宅する
というように、生活のサイクルが一定していれば、
母が作ってくれる糖尿病食だけを食べることが可能かもしれません。
ところが、私は週刊誌の編集者です。
昼間は取材や印刷所とのやりとり、夜はライターやデザイナーとの打ち合わせ、
校正など、生活のサイクルはメチャクチャです。締め切りが迫れば、会社での泊ま
り込みや徹夜作業も当たり前。せっかく母が作ってくれた食事をムダにすることも
しよっちゅうでした。
いくら母が一生懸命に頑張っても、本人がそれに応えなければ、糖尿病が改善で
きるはずはありません。このままではいけないと感じつつも、一年、二年と不規則
な生活を続けていると、次第に疲れが抜けにくくなり、身体にも力が入らなくなりました。病院に行くと、医師は、
「このままではインシュリンの世話にならなければいけなくなりますよ。インシュ
リンは一度頼ったら、やめられなくなりますが、それでもいいのですか」
と、突き放した言い方をします。
「あんたにこのつらさがわかるのかよ。糖尿病の家系に生まれただけで、オレは何
も悪いことをしていないのに糖尿病になったんだぞ」
売り言葉に買い言葉もありましたが、医師へのハつ当たりです。医師は首を横に
振ったきり、もう何も言いません。医師にメトホルミンを処方され、帰宅。

メトホルミンは糖尿病によく効き、寿命も伸びる可能性がある良い薬だとしりました。私は、そのあと反省して、食事療法にも積極的に取り組みました。朝食はもちろん、昼食は弁当
を作ってもらい、母の糖尿病食を食べました。いつもカロリーブックをバッグに入
れて持ち歩き、夕食や、出張先で外食をしなければならないときは、カロリーブッ
クを参考にして料理を選びました。酒席では、相手に糖尿病であることを話して、
ウーロン茶でおつき合いしました。もちろん毎食後、「メトホルミン」は欠かさず
飲み続けました。
そして、三ヵ月後。
血糖値は適正範囲まで下がったのです。
相変わらず仕事が忙しく、いますぐにとはいきませんが、一度母を連れてのんび
りと温泉旅行に出かけたいと思っています。私たち一家を苦しめてきた、天敵とも
言いたい糖尿病を克服できたのは、母が『メトホルミン』を見つけてきたからで
す。命の恩人である母に恩返ししないといけませんものね。

全身のだるさから解放され、心に余裕もできた
宮城県・ハ田愛子(主婦・四五歳)
三年前の私を見たら、誰もが私のことを怠け者だと思ったことでしょう。
部屋の掃除をするにも、新聞や小物を片づけるだけでひと休みし、掃除機をかけ
ては、またひと休みです。こんな調子ですから、四つある部屋をすべて掃除するの
に、たっぷり二時間はかかりました。
夕食の支度もひと苦労です。買い出しに行くだけでヘトヘトになり、ひどいとき
にはそのまま寝込んでしまうこともありました。
とにかく身体がだるく、見かねた主人に付き添われて病院に行くと、
「トイレに通う回数は?」
「水分をよくとるようになっていませんか?」
「家族の中で糖尿病だった人はいませんか?」と、医師からいくつかの質問を受けました。
いわれてみると、トイレに行く回数は多いし、水分もよくとります。しかも祖父
が糖尿病でした。すべて当てはまることばかりだったのでそう答えると、
「わかりました。きちんと調べてみましょう」
ということで、検査を受けたのでした。
空腹時の血糖値が二〇〇を超えていました。
糖尿病でした。
私はその日から食事療法をするように言われました。
幸い子供はなく、主人は「同じ食事でもいいから」と言ってはくれましたが、建
設現場で一日中、身体を使う主人に糖尿病食を食べさせるわけにはいきません。し
かし、それでなくても身体がだるく、家事が大変なのに、二種類の食事を用意しな
ければならず、拷問と言いたいほどの重労働でした。
主人から事情を聞いた義母が、しばらく同居してくれることになりましたが、義
母は糖尿病というものがよく理解できないようで、その眼には「怠け者」という軽蔑の色がありありと浮かんでいました。
これが私には、こたえました。
「だから私、あの人との結婚を反対したでしょ」
帰宅した主人に台所で義母が聞こえよがしに話しかける声を、居間で耳にしたと
きは、涙がこぽれてきました。確かに反対された結婚ではありましたが、あれから
二〇年になろうかというのに、姑は私を許してくれてはいなかったのです。
いえ、夫の世話をしてもらう私が悪いのです。
(糖尿病になりさえしなければ……)
気はあせるのですが、身体がどうしてもついていかないのでした。
姑と目を合わせることもできず、自分の家でありながら、私には毎日が「針のム
シロ」でした。
ノイローゼ状態になり、
(死ねば楽になる。いっそ死んでしまおうか……)
と、思い詰めたころです。主人の知り合いの医師が、
「これ、糖尿病にいいって話なの。飲んでみてください」
と言って、『メトホルミン』を手渡してくださったのです。
自然薬や民間療法については、私も何冊か本を読んで知ってはいましたが、半信
半疑の気持ちでいました。「メトホルミン」についても、糖尿病の薬とい
うことのようでしたが、正直いって、さしたる期待もありませんでした。ただ、せ
っかくの好意を無にするのも中しわけないし、あとで「どうでした」と訊かれても
困るという思いで飲み始めたのです。
ところがどうでしょう。
二週間ほど飲み続けると、全身のだるさが和らいできたのです。
(まさか)
と思いながら、さらに二週間ほど飲み続けているうちに、これまでのように頻繁
に水分をとらなくなくなってきたことに気がつきました。そういえば、以前ほど喉
も渇きません。トイレの回数も確実に減ってきて、糖尿病になる前と同じくらいです
(「メトホルミン」が効いているんだ!)
このときのワクワクするような気持ちをなんと言い表せばいいでしょうか。希望
月並みですが、本当に希望が湧いてきたのです。
でも、それだけに病院の検査が怖ろしく、
(もし悪くなってたら……)
検査当日は、不安で胸が締め付けられるようでした。
そして、検査結果。
血糖値170-230近くあった血糖値が170まで下がっていたのです。
私は「メトホルミン」に人生のすべてを賭け、毎食後、飲み続けました。血糖
値が適正範囲に入ったのは、初めて「メトホルミン」を飲んでから三ヵ月後のこ
とでした。
体調もよくなりました。
体調がよくなると、気力が満ちてきます。気力が満ちてくると、人にも優しくなれるようです。
これまで支えてくれた主人はもちろん、陰口を言い、私につらく当たる義母に対
しても、
(可愛い息子のことを思えば、当たり前かもしれないな)
と、許せるようになりました。
どうやら「メトホルミン」は、糖尿病から私を救ってくれただけでなく、私の
心をも強くしてくれた.みたいです。

夜中のトイレ通いで、夫婦して睡眠不足に
東京都・山根 学(自営業・五一歳)
「血糖値が高いから注意するように」
五年前、会社で行われた健康診断のときに医者が言った言葉です。
それまで病気らしい病気をしたこともなく、健康には絶対の自信を持っていた私
は、
「たまたま数値が高かっただけだ」
と、勝手に決めつけ、気にもしませんでした。好きなものを好きなだけ食べ、酒
も飲みたいだけ飲むという生活を続けました。
なんとなく体調に異変を感じ始めたのは、検査から三年後1人息子が大学に
入った年でした。
トイレが近くなったのです。それも夜中。
何度もトイレに立つため、寝不足になって身体の疲れがとれません。日中はボー
。としています。集中力も落ちて、仕事でミスが多くなりました。
妻とは同じ布団に寝ているので、私がトイレに立つときは、起こさないように気
をつけていても、妻は気配で目を覚ましていたようです。妻も寝不足からかイライ
ラするようになり、些細なことで夫婦喧嘩をするようになりました。仕事ではミス
をする、家に婦れば夫婦喧嘩。まったく嫌になるような日々が続いていたのです。
あれは、確か日曜日の夜だったと思います。
テレビを見ていると、健康をテーマにしたバラエティー番組で糖尿病の特集をや
っていて、糖尿病の症状のIつとして「トイレが近くなる」というのがあったので
す。
(トイレ? ひょっとすると……)
と、テレビを見ながら考えていると、背後で見ていた妻も、
「病院で検査してみたら?」と言いました。お互い口には出しませんでしたが、思いは同じだったのです。
病院で検査の結果、空腹時の血糖値が二七〇近くあり、
「立派な糖尿病です」
という診断でした。
(あのとき、医者の忠告を守っていればよかった)
じごう じとく
と、三年前の健康診断を後悔しましたが、自業自得。暴飲暴食、不摂生のツケがきたのでした。
医師の指示に従い、食事療法と運動療法を始めました。運動療法はともかく、こ
れまで好きな食べ物を好きなだけ食べてきた私にとって、食事療法は飢餓にも似た
苦しさでした。
それでも頑張りました。
好きな酒も断ち、一ヵ月、ニカ月……そして半年と続けました。
ところが、これほど苦しい思いをしながら血糖値はいっこうに下がらないのです。
(冗談じゃない、もうやめた!)

長生きなんかしたくない、太く短く生きてやる!。自暴自棄になり、女房に不
満をぶつけてはみるものの、合併症に対する恐怖から、病院通いは続けていました。
そんなある日のことです。
病院の待合室に座って診察の順番を待っていると、後ろの席に座った二人連れの
女性の会話が聞こえてきました。
「食事療法してるんだけど、血糖値って、なかなか下がらないのよね。やんなっち
やうわ」
「私、いま「メトホルミン」を飲んでるのよ」
「『メトホルミン』 ?」
「そう。糖尿病の治療薬なの。飲むと、身体の調子がいいのよ。一ヵ月ぐらいで、血糖値も下がって……」
患者同士の情報交換です。
民間療法については、「あれが効く、これが効く」で、みなさん、あれこれ勝手な
ことをおっしやるので、私はあまり信用はしていないのですが、このときはなぜか興味を引かれ、
「「メトホルミン」とは、どこで手に入るんですか?」
と、女性に訊いて、問い合わせ先を教えてもらったのです。
まず、パンフレットを取り寄せました。パンフレットに掲載された体験談を読む
と、インシュリン注射を打つまでになった重度の糖尿病患者ですら、治ったとある
ではありませんか。
体験談を読み進むうちに、
(この「メトホルミン』を試してみてダメなら、人生をあきらめよう)
と、覚悟を決めたのでした。
朝、昼、晩と、食事のあとで一回につき三粒ずつ「メトホルミン」を飲み始め
ました。
最初の一週間はこれといった効果はありませんでした。ところが二週間もすると、
それほど喉が渇かなくなり、トイレの回数もグ。と減ってきました。一ヵ月後の検査では、血糖値が二〇〇を下回っていたのです。夜中にトイレに立つこともなくなり、以前のようにしっかり眠れるようになりま
した。『メトホルミン』が全身に活力を与えて、さらに熟睡できることで身体の疲
れも抜けやすくなりました。精神的にもイライラしなくなり、妻は睡眠不足から解
放されて本来の明るさをとりもどしました。
三ヵ月後には血糖値は120に近づき、一年後にはすっかり元の身体にもどりま
した。
現在は暴飲暴食を慎みつつ、好きなものを食べたり飲んだりできる生活を楽しんでいます。

『メトホルミン』が仕事をできる喜びをもたらしてくれた

千葉県・高畑真希子(無職・四八歳)
駅前通りの交差点近くに建てられたアルミ製の小さなボックスが、私の10年来の仕事場でした。
私はここで宝くじを売り続けてきたのです。
東京の銀座数寄屋橋にある宝くじ売り場のような行列こそできませんが、一等く
じも何度か出て常連さんもついていました。
年末ドリームジャンボくじの季節には、
「三協円当たったら、おばちゃんにご祝儀をあげるから」
「去年もそんなこと言ってなかった。楽しみにしておくわ」
そんな冗談を言い合いながら、お客さんと笑い合ったものです。
身体の変調は、トイレが近くなったことから気づきました。売り場にトイレはなく、駅のトイレを借りていたのですが、売り場を離れるときは現金や宝くじが盗ま
れないように戸締まりをしなくてはなりません。これが意外と面倒なのです。それ
に売り場を離れるのは、商売からいってもよいことではありません。
そこで、お茶やジュース類を飲むことを控えたり、休憩時間には必ずトイレに行
くようにしましたが、それでも回数は増えるばかりです。どこが悪いというわけで
はありませんが、やはり普通ではありません。しかし、トイレが近いという理由だ
けで病院に行くのはどうかという思いもありましたが、このままでは仕事に差し障
るので思いきって行ったところ、
「糖尿病です」
と、診断されたのです。
「えっ、糖尿病ですか?」
思わず聞き返していました。糖尿病というと、なんとなく男性の病気だというイメージがあったからです。まさか自分が糖尿病になるなど、思いもしなかったことでした。

困ったのは、仕事をどうするか、です。
本音をいえば、家計への心配もあって仕事を続けたかったのですが、糖尿病とな
れば、職場に迷惑をかけてしまいます。どうしようか、迷いました。
すると夫が、
「健康が一番じやないか。治療に専念したらどうだ」
と、言ってくれたのです。
考えてみれば、健康あっての人生です。私は仕事を辞める決心をしたのでした。
お医者さんの指導に従って、食事療法と薬物療法を始めました。しかし、これと
いった効果はありません。血糖値は、上がったり下がったりの繰り返しで、トイレ
の回数も、これまでどおりで、三〇分おきに行くことも珍しくありません。
夫が本や雑誌で調べてくれて、糖尿病によいといわれる漢方を買ってきてくれた
り、知人の勧めで鍼灸院を訪ねたりしました。しかし、どれもみな芳しい結果は出
ませんでした。
カロリーを計算しながら、私だけ別メニューで食事を作ります。食べたいものも食べられない
これは、本当につらいものです。
(こんなことが一生続くのか……)
と暗澹たる気持ちになったのでした。
そんなある日のこと。
「これ、糖尿病に効くらしいよ」
と、医者が糖尿病の薬を手渡してくれました。
これが『メトホルミン』だったのです。
Aさんのお父様がやはり糖尿病でしたが、『メトホルミン』でよくなったそうで、
私のためにわざわざ買ってくださったということでした。
私は、それがどんなに素晴らしいものであるかわかりません。
私としては、「Aさんのお父さんが治った」
というひと言を信じて、「メトホルミン」を飲み始めたのでした。
効き目は、すぐにはあらわれませんでしたが、
「自然の物なので、今日飲んで明日効くというものではないが、飲み続けていれば
必ずよくなるそうだ」
と、Aさんのアドバイスを夫から聞いていたので、私は「メトホルミン」を信
じて飲み続けたのです。
そして六ヵ月後。
気がついたら、トイレの回数は糖尿病になる前と同じにもどっていました。空腹
時血糖値も180から110まで下がり、医師から「無理をしない程度に、仕事を
再開してもいいですよ」と言われました。
このとき、小躍りしたくなった私の気持ちがおわかりいただけるでしょうか。「死
ぬまで闘病」を覚悟していた私は、『メトホルミン』によって、新たな人生を手に入れることができたのです。もし「メトホルミン」と出合わなかつたなら……。
そう思うと、運も不運も紙一重であることが、いまはよくわかります。
体調もすっかりよくなったので、そろそろ仕事を始めようかと思っています。できれぱ、宝くじ売り場のように人と接する仕事ができれぱと、いま仕事を探しているところです。

息子家族との同居で食生活が一変。運動不足も加わり糖尿病に

東京都・内藤五郎(無職・七一歳)
私の定年退職を機に、長男家族と同居を始めました。
いまから10年前のことです。
何しろ会社一筋40年という人生でしたから、これといった趣味もなく、毎日家
でゴロゴロしながらテレビを見る生活が始まったのです。
「グラウンドゴルフの仲間にでも入れてもらったらどうなの」
と、女房が言いますが、これは私の運動不足を気にしてというより、嫁の手前、
家でゴロゴロされるのが迷惑だったのでしょう。
しかし、人間関係の煩わしさを考えると、いまさらグラウンドゴルフでもありま
せん。それで、どうしてもテレビ中心の生活になってしまうのでした。
長男の家庭は、中学三年を頭に、小学五年と三年の男子が三人います。長男の嫁は朝が弱いため、朝食は私の妻が用意し、昼食と夕食を嫁が作ることになりました。
とかく台所は女の城といいますから、食事の支度を分担することで、妻は嫁とのバランスをとろうとしたようです。
いま振り返れば、これがよくなかったのです。
嫁の作る料理は肉料理や揚げ物が中心でした。子供は育ち盛りが三人もいますからボリュームもありました。かく言う私も、こってりした料理は嫌いではありません。それに嫁の手料理ですから、食べ残すのも悪い気がして、無理して全部食べていたのです。
そして、運動不足。その結果、一年もしないうちに体重が15キロも増えて、七五キロになってしまったのです。身長は165センチですから、これはもう見るか
らに肥満体です。しかも、身体が重くなれば、これまでにも増して動くのが億劫になります。悪循環でした。
やがて、何もしていないのに身体がだるく、喉がしきりに渇くようになり、ついに起きあがれなくなったのです。
長男に抱きかかえられて病院に行きました。
血糖値280。
糖尿病でした。
医者に問われるまま、生活状況や食事を話すと、
「このまま糖尿病が進行すると、腎臓障害を起こしたり、脳梗塞になることがあり
ますよ。失明する人もいます。すぐに生活を改めてください」
と、叱られました。
食生活を注意されたことから、妻と嫁との仲がぎくしやくし始めました。
妻にしてみれば、私の身を心配するあまり、イライラが高じてくると、
「あなたがこってりした料理ばかりを食べさせるからよ」
と、つい嫁に当たってしまいます。
嫁にしてみれば、なにも私を糖尿病にしてやろうと思って料理を作っているわけではありません。むしろ逆で、私に栄養をつけているつもりだったのでしょう。だから、自分は悪くないという気持ちがあります。
「お母さんに嫌味をいわれた」
と、夫である私の息子に訴え、息子は私に文句をいいます。
私が糖尿病になったばっかりに、それまで和気諸々だった家族がいがみ合うので
す。当の私はいたたまれず、それはつらい毎日でした。
こってりした料理を控え、好きな酒もやめました。
病院の薬も飲みました。
朝夕には散歩に出かけました。
しかし、それでも血糖値は下がらず、気は滅入るばかりでした。
運命の扉を開いてくれたのは、元同僚でした。たまたま年賀状に糖尿病になった
ことを一筆添えたところ、すぐに返信が来て、
(自分も退職後、糖尿で苦しみましたが、幸いにも「メトホルミン」でよくなり……〉
といったことが書いてあったのです。

さっそく『メトホルミン』を取り寄せ、飲み始めました。
一ヵ月ほどで全身のだるさがとれ、喉の渇きもなくなりました。
翌月の検査では、血糖値が130まで下がり、医者が驚いたほどです。
そして、何より嬉しいことは、私の体調がよくなるにつれて妻が冷静さをとりも
どし、嫁と仲直りをしたことです。
いまわが家は、以前のように、笑い声が絶えない家族にもどりました。「メトホルミン」に感謝です。

老眼と思った視力低下は、糖尿病が原因だった

富山県・及川うめ(主婦・ハー歳)
「このところ、めっきり視力が弱くなって、眼が疲れやすくなったわ」
と、私がこぽすと、
「八〇年以上も使っているんだ。身体もポンコツになるわい」
主人がひどいことをいいますので、私は腹立たしくなって、
「そうかしらね。糖尿病が悪ぐなってきて、眼が見えなくなってきたのかもしれな
いわ。明日にでも病院に行ってこようかしら」
と、主人にいってやりました。
私は数年前に糖尿病と診断されていたのです。糖尿病とわかってからは、それな
りに節制してきましたから、悪化するはずがないのですが、主人を脅かすつもりでそういったのです。ところが主人は真に受けてしまい、
「明日、一緒に病院へ行くぞ」
と、言い出しました。
私もあとへは引けず、定期検診の前倒しのつもりで病院へ行くことにしたのです。
ところが、これが幸いしたのです。
「小さな出血があります。いますぐというわけではありませんが、網膜剥離から失
明にいたることがあります。眼の治療はもちろんですが、その原因である糖尿病を
治さなくてはなりませんね」
と、お医者さんがおっしやったのです。
これには驚き、怖くなって足が震えました。もう80歳を過ぎているのです。こ
の年で眼が見えなくなったら、どうやって生きていけばいいのか……。
(眼が見えなくなったらどうしよう)
という恐怖から、お医者さんの指示どおり食事療法を始め、毎日散歩して身体を
動かすようにしたのです。

「メトホルミン』のことを知ったのは、糖尿病の記事でした。
大学に通う孫が心配して、糖尿病に関する本や記事を持ってきて、治療法につい
て私に説明してくれたのですが、ある雑誌に(糖尿病からくる眼底出血が治った》
という大きな見出しがありました。
孫に頼んで読んでもらうと、『メトホルミン』の体験談でした。
正直いって、半信半疑でした。
病院にかかっても治らないようなやっかいな糖尿病が、そう簡単に治るとは思え
なかったのです。
その日の夕食時、たまたま話のついでに『メトホルミン』のことを主人に話す
と、
「ダメで元々じやないか。やってみろよ」
と、いうなり、その場で注文してくれたのです。これには驚きましたが、私の身
をそこまで案じてくれているのかと思うと、嬉しくて、涙がこぼれました。結果的に、主人のこの決断が、私の眼を救ってくれることになります。「メトホルミン』を飲み始めて1カ月で、血糖値が安定し、眼底出血が止まったのです。本
当に、飲むだけで救われたのです。
「おかげさまで、命拾いしました」
と、主人に感謝すると、
「オレは何にもしてない」
と、ぶっきらぽうな返事です。
照れくさかったのでしょう。
この年でなんですが、主人と結婚してよかった、とあらためて思ったものです。

糖尿病による白内障になって知った弟の愛情深さ
大阪府・河合美智子(CADオペレーター・三〇歳)
建築設計会社でCADオペレーターをしています。
コンピュータを使って設計図や配線図を作図する仕事のため、一日一〇時間以上
モニターを見続けることも少なくありません。人体より眼への負担が大きかったは
ずです。週末になると疲れがたまるのか、眼の奥がジンジンと痛みましたが、土
日に休養すれば、元通りに回復しました。
ところが、半年前から眼の疲れが抜けにくくなり、かすむようになりました。
眼は誰にとっても大切なものですが、私には〃商売道具〃でもあります。すぐさ
ま眼科医を訪ねると、白内障と診断されました。
「手術で治るから気落ちしないで。いい大学病院を紹介しますから」
と、先生は明るく励ましてくださいましたが、(大変なことになったな)
と、私は落ち込みました。
そして、それから数日後。手術をするため、紹介状を持って大学病院を訪ねた私
は、奈落の底に突き落とされたのです。
手術前の血液検査で、糖尿病という結果が出たのです。
しかも血糖値はかなり高く、
「現状では、白内障の手術はできません」
と、医師から告げられたのです。
糖尿病など、それまで思いもしないことでした。
しかし、いつまでも呆然としているわけにはいきません。眼の危機なのです。
とにかく血糖値を下げることが先決です。
(早く手術すれば失明しないですむんだ)
と、自分に言い聞かせ、励まし、恐怖と戦いながら食事療法と運動療法を必死で続けたのです。 糖尿病食は味気ないものです。
独身で、これまで一人暮らしの気楽さから、昨日はフレンチ、今日はイタリアン、
明日は焼き肉と、美食を続けてきた私が、カロリーブックで一品ずつチェアクしな
がら外食です。これは本当につらいものでした。
眼がかすむということで、仕事にも支障をきたすようになりました。
会社の社長は、
「いまは治療に専念しなさい」
と、理解を示してくれ、休職扱いにしてくれましたが、この状態が長引けば解雇
されても文句は言えません。血糖値が少しでも下がってくれれば、頑張りがいもあ
りますが、数値は頑固なまでに変わらないのです。良くなる兆しはまったく見えず、
気があせるぱかりでした。
(お嫁にも行かず、このまま私は人生を終えてしまうのかしら……)
と、心の張りが切れそうになったときです。
北海道の実家に住む弟が個人輸入で糖尿病の薬を送ってくれました。「メトホルミン」です。
その場で実家に連絡すると、弟は出張で不在でした。
母に事情を聞くと、弟の上司が「メトホルミン』で糖尿病を治したそうで、私
のために「メトホルミン」を買って送ってくれたということでした。弟のやさし
さに胸が熱くなり、涙があふれ出ました。
「メトホルミン」を飲み始めて10日ほどすると、作用があらわれました。
ぐっすりと眠れます。
朝の目覚めも爽快です。
鏡を見ると、くすんでいた顔に赤みが差し、身体も軽く感じます。
数日後、病院で検査すると、それまで250だった血糖値が220に下がってい
たのです。食事療法ではまったく下がらなかった血糖値が、わずかではありますが、「メトホルミン」で下がったのです。 (これはいけるかも!)
前途に希望が見えてきたのです。
その後も「メトホルミン』を飲み続け、三ヵ月目になると、血糖値は150に
ガクンと下がり、以後、適正範囲をキープしたのです。
そして「メトホルミン』を飲み始めて五ヵ月後、白内障の手術を受けることが
可能になり、失明の危機を脱したのでした。
姉思いの弟と『メトホルミン』にはいくら感謝しても足りません。
来春、弟は学生時代の後輩と結婚します。眼を、いえ人生を救ってくれた感謝を
込めて、何をプレゼントしようか、いま思案しているところです。

真夏でもつらい足腰の冷えから解放されて

宮城県・山口奈央(会社員・二九歳)
ストッキングの上から厚手の靴下を履き、さらにムートンの膝掛をかける。いま
どき、真冬でもこんな格好はしないでしょう。私は真夏にこの格好で仕事をしてい
たのですから、やはり異常でした。
私はOA機器のリース会社で、営業事務をしています。真夏はエアコンを最強に
してあります。営業マンは真夏でもスーツを着ているからです。営業マンが出払っ
たあとで、温度を上げればいいのですが、困ったことに、もう1人の女子社員
いわゆるお局さまですけど。彼女は更年期の関係か、とても暑がりで、私がエア
コンの設定温度を上げると露骨に嫌な顔をします。女子社員は二人きりですし、私
は新入社員だったので、ケンカするわけにもいきません。靴下を一枚多くするなど
重ね着することで我慢しました。ところが、入社二年目の夏でした。
今年もクーラー対策に重ね着をしようとしたところ、靴下を一枚多くしたくらい
ではおっつかず、みるみる枚数が増えて、とうとうムートンの膝掛けまでかけるよ
うになったのです。
とにかく足腰が冷えて、トイレも近いのです。お局さまも、さすがに私の異常さ
に驚いたようで、エアコンを控えめにしてくれましたが、身体の状態はひどくなる
一方でした。
病院に行きました。
糖尿病でした。
先生の問診に答えているうちに、自分の生活状態がいかに不健康であるか思い知
らされました。私は料理が苦手なので、ほとんど外食です。お酒も大好きで、缶ビ
ールや果汁入りの酎ハイを、ほとんど毎日欠かさず飲んでいました。恋人と別れて
からは休日に外出することもなく、部屋の掃除や洗濯をしたあとは、一日中テレビ
やビデオを見る。「これでは、糖尿病になってくださいというようなものです」
そうおっしやった先生の言葉を、いまもハ。キリと覚えています。
「このまま糖尿病が進行すれば、一生、インシュリン注射を打ち続けることになり
ますよ」
という先生の言葉におののきながら、私は外食をやめ、カロリーブ。ク片手に自
炊を始めたのでした。
食事療法に取り組んで六ヵ月が過ぎたころです。昼休みに、お局さまがいつもの
ようにお茶を飲みながら広げて読んでいた健康雑誌に、「糖尿病」という大きな見出
しが私の席から見えました。
お局さまがトイレに立ったすきに雑誌を開くと、「メトホルミン」のことが書か
れていました。『メトホルミン』の素晴らしさが、体験談で綴られていました。
さっと斜め読みして、
(本当かな?)
と、疑いました。私がこんなに苦労しても血糖値はまったく下がらないというのに、「メトホルミン』を飲んだだけで、そう簡単に下がるわけがない。そう思ったのです。
しかし一方で、
(もしかして……)
という気持ちもありました。
藁にもすがる心境というのでしょうか、
(試してみて、効果がなければやめればいいじやないか)
私は自分に言い聞かせ、「メトホルミン」を取り寄せたのでした。
半信半疑で、一ヵ月ほど飲み続けました。
ところがどうでしょう。空腹時の血糖値が、二五〇から一六〇に下がったではあ
りませんか。トイレの回数も減りました。足腰の冷えも気になりません。
(ひょっとして、糖尿病が治るかもしれない)
と、小さな希望が湧いてきたのです。
そして飲み始めてから三ヵ月後には、すっかり体調もよくなり、血糖値も適正範囲で落ちつきました。料理の腕前もあがりましたから、これぞ、ケガの功名ならぬ
糖尿病のおかげだと笑っています。もし「メトホルミン」と出合わなかった
ら……、お局様が健康雑誌を愛読していなかったら……、「糖尿病」という見出しが
私の目に飛び込んでこなかったら……。いまの幸せはなかったでしょう。私は偶然
という幸運に助けられたのです。

糖尿病によるインポテンツを克服。夫婦仲も元通りに

埼玉県・土屋康文(自営業・四五歳)
「糖尿病が進むとインポテンツになる」
という話は、以前からよく耳にしていました。
「こいつは安全パイなんだ。糖尿病だから」
酒場で女性を前に、そんな冗談を言って笑ったものですが、まさか自分が糖尿病
でインポテンツになろうとは、夢にも思いませんでした。
二年前のこと。突然、不能になったのです。
「きっと疲れているのよ」
家内が慰めてくれました。実際、仕事が忙しかったことも確かですし、四〇半ば
になると勃起力も減退してきますので、たまにはそんなこともあるだろうと、この
ときは思いました。ところが、その夜を境に、まったく不能に陥ってしまったのです。
ショックでした。
家内は大学の後輩で五歳年下。四〇になったばかりで、これからが女盛りだとい
うのに、夫の私がインポになってしまうとは……。インポになると、人生そのもの
に自信をなくすといわれますが、まさにそのとおりで、沈鬱な日々が始まりました。
女房にしても、自分に女としての魅力がなくなったのかと悩んでいるようです。そ
れまで夫婦の安息の場所だった寝室が、お互い、なんとも息苦しい場所になってし
まったのです。
夫婦の危機でした。
幸い親友に医者がいたので、インポになったことを電話で相談すると、途中でさ
えぎるように、
「すぐオレの病院に来いよ」
と、言いました。
あとで親友が言うには、 「おまえは肥満気昧なので、糖尿病が原因だとピンときたよ」
ということでした。
実際、血液検査の結果、糖尿病でした。
親友はすぐに家内に連絡して病院に呼び出しました。私がインポテンツになった
のは糖尿病が原因であることを説明し、食生活や運動など日常生活の注意点を教え
てくれてから、
「血糖値が下がれば、機能は回復しますから安心してください。奥さん、はやまっ
て離婚しないようにね」
と、冗談をいって私たち夫婦を安心させてくれました。
それからというもの、家内は朝夕の食事はもちろん、昼食用に糖尿病食の弁当を
作ってくれるなど、これまで以上に愛情を注いでくれました。それでも、依然とし
て喉は渇くし、トイレは近い。手足がしびれるなどの症状も相変わらずでしたが、
家内の献身ぶりには頭の下がる思いでした。
しかし……。いま思えば、どうして私は家内の努力に応えようとしなかったのでしょう。家内
が懸命にカロリー計算して料理を作ってくれているのに、私ときたら、外では好物
のラーメンや焼き肉を食べ、打ち合わせを言い訳にして酒を飲んだりしていたので
す。
(糖尿病なんか、放っておいても治るんじゃないか)
と、たかをくくっていたのです。
「おかしいな。ちゃんと食事療法をやっているのか?」
首をかしげる親友に、
「もちろんさ」
私は笑って答えましたが、親友は険しい顔で、
「ハ。キリ言っておく。このまま進行するとインシュリン注射だぞ」
それでも私は、決められた食事を守ることができなかったのでした。
当然、血糖値は上がります。そして、ついにインシュリン注射に頼ることになってしまったのです。「だから言わんこっちやないだろう」
口には出しませんでしたが、親友の顔には、そう書いてありました。
インシュリンを使い始めると、すぐに効果があらわれました。喉の渇きが治まり、
トイレの回数も減りました。自分で注射することで、危機感も高まり、まじめに食
事療法や運動療法にも取り組むようになりました。
一ヵ月後、血糖値がかなり下がってきたので、親友はインシュリン注射から血糖
降下剤に切り替えました。体調もいいようです。これなら家内とセ。クスができそ
うです。久しぶりに、家内を誘いました。
ところが……。
ダメでした。まったく反応しないのです。家内は何も言いませんでした。私は黙
って背を向けて寝たのです。
数日後、定期検診で親友を訪ねた私は、
「いっそバイアグラでも飲もうかな」
と、言いました。半分は本気でした。「それも一つの方法だな」
親友は揶揄するように言ってから、
「これは、オレの独り言だぞ」
と、意を決したように、
「オレの患者さんの中には、「メトホルミン』で糖尿病を克服した人がいる。東洋医学の医者として、オレは勧めるわけにはいかないが、そういう事実があったと、おまえに伝えておく。あとは、これを読んで判断してくれ」
そう言って健康雑誌を手渡してくれたのでした。
雑誌には「メトホルミン」の体験談が載っていました。私と回じように、糖尿
病の影響でインポテンツが少なくないことを知りました。そしてまた、『メトホルミン』を飲むことで、それを克服したことも……。
迷いはありませんでした。いや、「メトホルミン」にすがるしかないと思ったの
です。個人輸入代行業者を利用してすぐに取り寄せました。一日三回、三粒ずつ。毎日、飲み続けました。
効果があらわれたのはニカ月目です。
なんと言えばいいのでしょう。全身にパワーがみなぎる、という感じなのです。
親友には内緒で、血糖降下剤を一日一回に減らしました。ちょっと心配でしたが、
血糖値は適正範囲で落ちついていました。
そして三ヵ月後。
「よく頑張ったな。血糖降下剤はもう必要ないよ」
と、親友からお墨付きをもらったのです。
「ありがとう。おまえが『メトホルミン』を教えてくれたから……」
「おっと、それは言いっこなし」
親友はウィンクして笑いました。
その夜、女房に診察の結果を伝えると、
「よかったね」
と、涙で顔をくしゃくしゃにして喜んでくれました。
その夜、私は完全復活したのです。

狭心症の発作から糖尿病を発見。『メトホルミン』で健康に
兵庫県・尾上美代子(主婦・五五歳)
二年前から掃除や洗濯など、ちょっと身体を動かすだけで、動悸がして息苦しく
なりました。
(年のせいかな)
と思いましたが、それにしても動悸が気になります。胸が締めつけられ、このま
ま倒れるのではないかと思うほどです。
不安になって病院に行くと、
「血圧が高く、狭心症を起こしています」
と、診断されました。
そして血液検査の結果、血糖値が三〇〇近くあり、狭心症や高血圧は、糖尿病の
合併症だったことがわかりました。「血圧は薬で下げられますが、狭心症は深刻な状態です。大きな発作が起きる危険
性があります。すぐに入院できますか?」
医師の言葉に、私は「はい」と頭を下げたのでした。
支度をするため、いったん家に帰り、その日の午後、入院しました。夫は早退し
て病院に駆けつけてくれました。大阪に嫁いで専業主婦をやっている一人娘も、孫
を連れて帰ってきてくれました。
消灯時間になり、夫や娘たちが帰ってから、私は眠れぬままべッドの上で祖父の
ことを思い出していました。祖父もまた、糖尿病から心筋梗塞を併発して亡くなっ
ていたのです。
(糖尿病で命をとられる血筋なんだな)
と思うと、やりきれなくて涙が出てきました。
娘の夫に理解があり、娘が主人の面倒をみてくれることになりました。主人は洗
濯ひとつしたことのない人ですから、娘が帰ってきてくれなかったら、私はおちお
ち入院などしていられなかったでしょう。娘のおかげで、心おきなく入院治療に専念できました。
たぶん、それが精神的にもよかったのでしょう。心臓の治療もうまくいき、ニカ
月後に退院しました。
自宅にもどってからは、糖尿病が悪化しないように、食事療法に真剣に取り組み
ました。退院から一年ぐらいは血糖値一六〇を行ったり来たりの小康状態が続きま
した。
「糖尿病は一生の病気」
と聞いていたので、このまま小康状態が続いてくれれば十分と思いました。
娘は1カ月に一度は里帰りしてくれていましたが、その日は娘の旦那さんも一緒
に来てくれました。
「お母さん、僕の友達も糖尿病なんだけど、これを飲んでから調子がいいそうです。
試してみたらどうですか」
と、旦那さんがプレゼントしてくれたのが「メトホルミン」でした。
飲み始めて三ヵ月後に高血圧に作用し、さらに半年後には血糖値が適正範囲まで下がりました。いまは体調維持のために一日一回『メトホルミン』を飲んでいます。

妻の死から酒浸りの生活に。糖尿病と肝機能障害を併発

愛知県・大川 勝(無職・六五歳)
もともと酒は好きでした。
ビール、焼酎、洋酒となんでもいけますが、一番はやっぱり日本酒の冷や。肴は
いりません。塩をちょこんと舌に乗せて、キュ。とやる。こたえられないですね。
口うるさいカミさんからは、
「身体に悪いから、何か食べながら飲みなさいよ」
と、よく言われたものです。
そのカミさんが死んだのは三年前。
交通事故でした。
交差点を渡っているときに、信号無視のクルマにはねられたんです。即死でした。
苦しまないで逝けたのがせめてもの救いだなんて、そのときは無理やり自分に言い聞かせたものです。
それにしても、カミさんに先立たれた亭主なんて、惨めなもんです。
お通夜だ、葬儀だと、ドタバタしているときは気が張っていますが、遺骨を墓に
納めて一段落すると、もういけません。家の中がガランとして。娘が万人いますが、
私とそりが合わず、嫁いでからは寄りつきません。カミさんの葬式で顔を合わせた
のも10年ぶりです。もちろん、どちらからも一緒に暮らそうなんて話は出ません
でした。
寂しさをまぎらすには、酒が一番です。
酔っているうちは何も考えなくていいんですから。
すでに定年退職していましたから、やることもありません。昼間から酒を飲んで
いました。アル中と同じですね。こんな、すさんだ生活が身体に良いわけはありま
せん。案の定、身体が悲鳴をあげました。
身体が重く、手足がしびれて、喉も異常に渇きます。
(カミさんのとこに行く日も近いな)と、強がってみますが、それでも死ぬのは恐ろしいものです。二、三日、酒を抜
いてみたりしましたが同じでした。
そのうちに、手足のしびれで、まともに歩くこともできなくなりました。金魚鉢
から飛び出した金魚みたいになって、家の中でぐったり。もし町内会長さんが回覧
板を持って訪ねてくれなかったら、どうなっていたでしょう。
救急車で運ばれて入院しました。
いくつもの検査を受けました。
肝機能低下と糖尿病。
毎日、酒飲んでゴロゴロしてりや、それも当然でしょう。付き添ってくれて、一
緒に検査結果を聞いていた町内会長さんが、大きく頷いていましたもの。
「いいですか。禁酒してください。それから食事は……」
食事療法をしろと、お医者さんがカロリーについてあれこれ指導してくれました
が、いまさら私に料理なんか作れっこありませんよね。
すると、町内会長さんが、「よし、乗りかかった船だ」
とかなんとか言って、ご自分の奥さんに頼み込んで、私の食事の面倒をみてくれ
ることになったのです。
飲んべえで怠惰な私ですが、人間として、この好意に応えないわけにはいきませ
ん。
その日を境に、ぷっつりと酒はやめました。
薬もきちんと飲み、体調がよいときは近くを散歩しました。こうして真面目な生
活を一年ほど続けたのです。
ところが、体調は相変わらず。
どこかへ引っ越そうと思いました。町内会長さんご夫婦は、一年という長きにわ
たって、赤の他人の私の世話をしてくださっているのです。それなのに、いっこう
によくならない。申しわけなくて、これ以上やっかいをかけるわけにはいかないと
思ったのです。
そんなある日のこと。娘から宅配便が届きました。葬式で10年ぶりに顔を合わせて以来、これまでどおりぷ日信不通〃になっている娘です。何事かと、包みを開
いてみると、箱の中に健康雑誌のコピーと「メトホルミン」が入っていました。
雑誌は、「メトホルミン」で糖尿病が救われたという体験記事でした。たぶん、
町内会長さんから私の病状を聞いたのでしょう。手紙ひとつないところがいかにも
娘らしく、思わず苦笑しましたが、すぐに涙があふれてきました。
娘に感謝しつつ、朝、昼、晩、毎食後に三粒ずつ「メトホルミン』を飲み続け
ました。
(この一粒一粒に娘の真心がこもっている。だから絶対によくなるんだ)
自分に言い聞かせ、信じて飲み続けたのです。
一ヵ月後、ずっしりと重かった身体が軽く感じられるようになってきました。夜
中もぐっすり眠れ、朝も気持ちよく起きられます。
(この調子でいけば……)
前途に希望が湧いてきたのです。
そして三ヵ月後には、緩やかですが、血糖値が下がり始め、なんとJ
八ヵ月後には適正範囲になったではありませんか。娘の無言の愛情が、私を糖尿病から救ってく
れたのでした。
医者の許可が出たので、今年からスーパーで自転車を片づけるアルバイトを始め
ました。お世話になった町内会長さんご夫婦と娘に、健康になって稼いだお金でプ
レゼントをしたいからです。
娘には、訪ねて行って直接手渡すつもりでいます。
どんな顔をして受け取ってくれるか、それを楽しみに毎日働きに出ています。

糖尿病のほか、妻の生理不順や娘の便秘にも効果が

神奈川県・谷野 孝(会社員・五〇歳)
二年ほど前のことです。手足の先がしびれ、疲れが抜けにくくなりました。
喉が渇いて頻繁に水分をとるので、トイレも近くなりました。
(糖尿病かな)
私はピンと来たのでした。
同居している親父が糖尿病で食事療法をしていたので、私も糖尿病体質を受
け継いでいるだろうと覚悟していたからです。
病院で検査を受けると、案の定、糖尿病の診断でした。覚悟していただけに、驚きはありませんでした。
「遺伝だわね」
と、妻は笑っていました。大学生の息子と高校生の娘は、
「遺伝だなんて、勘弁してくれよ」
と不平をもらしてはいましたが。
翌日から、親父同様、食事療法に入りました。親父の糖尿病食はこれまで見慣れ
ていましたので抵抗はありませんでしたが、血糖値がなかなか下がらないのにはま
いりました。努力することがつらいのではなく、成果が具体的なかたちであらわれ
ないという徒労感がつらいのです。
息子と娘から思いがけないプレゼントをされたのは、食事療法を始めてニカ月後
のことでした。
それが「メトホルミン』でした。
パンフレットを見て、二人が小遣いを出し合って買ったそうです。
効能については私はわかりませんでしたが、子供たちが買ってくれたものです。
治るとか、治らないとか言ってはバチが当たります。さっそく食卓の真ん中に「シ
ラージャトウ』を置き、親父と二人で、一日三回飲み始めました。子供たちの愛情を飲むつもりでいたのです。
ところがどうでしょう。一ヵ月後、私の手足のしびれがすっかり消えてしまった
のです。血糖値も急激に下がり、ニカ月後には適正範囲に入ったのです。親父は私
より遅く、三ヵ月目から効果があらわれ、半年後に血糖値が適正範囲で落ちつきま
した。自分たちのプレゼントで、パパとおじいちゃんがそろって糖尿病にさよなら
したのですから、子供たちの喜ぶまいことか。
糖尿病にさよならしたいまも、『メトホルミン』は食卓の定位置にあります。
というのも、私たちにつられて妻や子供たちが『メトホルミン』を一日一回飲
んでみたところ、体調がすこぶるよくなったと言うのです。妻は冷え性が治り、生
理も順調になったと言います。生理痛も軽くなったらしいです。娘は便秘がちでし
たが、毎朝お通じがあるようです。肌の張りもよく見えます。
息子は糖尿病の予防だと言っています。高校時代は朝の目覚めが悪く、遅刻の常
習犯でしたが、最近はすっかり早起きになりました。早朝ランニングを日課にした
ことも加わって、精悍さが出てきたようです。家族全員に健康をもらたしてくれた「メトホルミン」には心から感謝していま
す。今後も食卓の真ん中に置いて、家族で愛用していきたいと思います。

痛風と糖尿病のダブル危機を『メトホルミン』に救われて

東京都・吉田義一 (鮨店経営・四八歳)
飴屋のノレンを出して一五年になります。
修業時代を入れると、この道で三〇年近くになりますか。
うちのような下町の飴屋は、うまい寿司を出すのはもちろんですが、お客と親し
くなることが何より重要なんです。
「一杯やりなよ」
と、お客さんに酒を勧められれば、飲まないわけにはいきません。
閉店後は一緒に飲みに出て、そのあと近所の焼き肉屋に行ったりもします。
近所づき合いをしておくと、
「飴ならョシさんの店がおいしいよ」
と、宣伝してくれるんですね。食べ物屋は、なんと言ってもロコミですから。また、うちはトロで評判の店ですが、客足がさっぱりのときは、解凍したトロは
自分たちの賄いになります。
毎日酒を飲み、焼き肉や脂の乗ったトロなど高カロリーの食べ物を摂っていれば、
身体にいいわけがありません。三年前から身体が重く感じられ、翌日に疲れが残る
ようになりました。
「私も年ですよ」
と、お客さんと軽口を叩きながら、生活スタイルを変えませんでした。
翌年になると、手のひらがパンパンに腫れ上がり、足の親指のつけ根に激痛が走
りました。赤みを帯びて腫れ上がり、熱を持っています。足を引きずりながら病院
に行くと、痛風と診断されました。血液検査の結果では、糖尿病の兆候も出ている
ということでした。
痛風はともかく、糖尿病はやっかいなので、生活を改めるよう医者は言いましたが、
「はい、わかりました」とはいきません。
お客さんとのつき合いで、店はもっているのです。これまでの生活スタイルを変
えれば、お客さんが離れてしまうかもしれないからです。
しかしそうかといって、正直いえば、糖尿病も気になります。昔、修業していた
店のお客さんが、合併症で失明しています。糖尿病の怖さは知ってはいるものの、
ずるずると自分を朝しながら店を続けていたのです。
ある日のこと。北海道で獣医をしている弟がI〇年ぶりに遊びに来ました。
「兄貴、ずいぶん太ったな」
獣医らしいというのか、これが弟の第一声でした。
「なんだ、一〇年ぶりに会ってその挨拶は」
私が笑うと、
「肥満は糖尿病の大敵だぜ」
弟の口から糖尿病という言葉が出たので、
「それが実は……」糖尿病のことを打ち明けたのです。
すると弟は、自分が関係する牧場主の1人に糖尿病がいて、「メトホルミン」を飲んで治ったという話をしてくれました。
「興味があるなら連絡先を聞いてあげるけど、どうする?」
と言われて、即座に頼みました。
さっそく「メトホルミン」を取り寄せて飲み始めました。
ところが1カ月、2カ月、3ヵ月、そして4ヵ月が過ぎても、血糖値になんの変
化もありません。
(弟のヤツ、いい加減なことを言やがって)
騙された、と憤慨しました。
しかし購入したのは6ヵ月分です。捨てるのもくやしいので、とりあえず飲みき
ろうと思いました。
これが幸いしたのです。
5ヵ月目、手の腫れがスー。と引き、足の痛みが日に日に軽くなっていくのです。
そして、六ヵ月目には痛風の発作はまったく起きなくなりました。病院で尿検査を
しても結果は良好です。しかも血液検査をしてみると、なんと糖尿病の兆候も消え
ていたのでした。
いま振り返ると、「メトホルミン」の作用が遅かったのは、たぶん不摂生の貯
金が多すぎたのでしょう。しかし考えてみれば、わずか半年で人生を拾ったので
す。作用が遅いどころか、早すぎると言うべきでしょうか。
北海道の弟にさっそく報告すると、
「よく半年も辛抱して飲み続けたよね。兄貴のことだから効果が出ないと途中で投
げ出すかなと思ったよ。オレの悪口でも言ってさ」
と大笑いしていました。
さすが血を分けた弟だけに、私の行動はお見通しのようです。
「お礼、何がいい?」
私が言うと、
「あとが怖いからいらないよ。どうしてもと言うなら、北海道に足を向けて寝るな」「バカ野郎!」
二人して笑ったのでした。
(兄弟っていいな)
と、しみじみ思ったものでした。

足裏のタコから糖尿病が発見されて
静岡県・加藤政男(会社員・五〇歳)
みなさん、糖尿病の合併症に、足の裏の病気があることを知ってらっしやいま
すか?
私は知りませんでした。
あれは、ちょうど一年前のことです。テレビのバラエティー番組で、ゲームに負
けたタレントが、罰ゲームで足裏をマ。サージされて悶絶するシーンがあって、家
族で笑いながら見ていました。
小学生のヤンチャ坊主が、それを真似して私の足を持ち上げたのですが、すぐに
放り出して、
「お父さんの足、汚い!」
と言って顔をしかめたので、「バカ者」
ゲンコツを見舞わせ、どれどれと、自分の足の裏を見て唸りました。
親指の付け根に大きなタコがあったのです。
「なんでそんなに大きくなる前に気づかなかったのよ?」
のぞき込んだ妻が言いましたが、タコについては、自分でもまったく意識してい
なかったのです。
とはいえ、たかがタコです。放っておいてもいいようなものですが、妻がうるさ
いので、翌日、皮膚科に行きました。
すると医者は、タコを熱心に調べてから、
「一応、念のために」
と、内科医を紹介したのです。足のタコで内科医にかかるなど妙な話だと思いま
したが、病気からタコができることもあると言われたので、不承不承ながら診察を
受けることにしたのです。
内科医は、タコを診察してから、「最近、健康診断を受けましたか?」
と、聞きました。
「はい」
「結果は?」
「血糖値が、ちょっと高いと言われました」
そう答えると、身体はだるくないか、水分を頻繁にとらないか、トイレの回数は
増えたか、手足にしびれはないか……。あらためて質問されると、そうであるよう
にも、そうでないようにも思えます。
「なんだか糖尿病だと言われているみたいですね」
と、私が軽口を叩くと、
「可能性があるんです」
医師は大まじめで言ったのでした。
血液検査の結果、空腹時血糖値が二五〇。糖尿病でした。
落ち込む私に、「加藤さんはまだ運がいいんですよ」
と、医者がやさしく言ってくれました。糖尿病で足の末梢神経障害を併発すると、
足が変形したり、タコやウオノメができやすくなるばかりか、血流障害や細菌感染
が重なると、足潰瘍や足壊死になって、切断しなくてはならないケースもあるとい
うことでした。
糖尿病と診断されたことを妻に告げると、
「そういえば、あなたは肉が大好物だし、毎日晩酌ですものね。それに運動も全然
しないし……」
自業自得だと言わんばかりでしたが、妻はもともとやさしい性格なので、さっそ
く翌日から糖尿食を作ってくれました。
そして半年。妻のおかげで、医者から「あと一歩ですよ」と言われるまでに血糖
値は下がりました。
(これでひと安心だ)
と、私はすっかりいい気分になり、昼食は妻が作ってくれた糖尿病食の弁当を食べずに外食をしたり、会社帰りに同僚と一杯飲んだりと、再び不摂生をするように
なりました。
妻は、味気ない糖尿病食をなんとかしようと、書店や図書館を廻って糖尿病食関
係の本を探し、料理のバリエーションを増やしてくれていたのです。そんな妻の苦
労を知りながら、私は誘惑に負けてしまったのです。
身体は正直なもので、血糖値は瞬く間に元通りになってしまいました。
医者に叱られました。
妻にはもっと怒られました。
「あなたに病気を治す気がないのなら、もう一切協力はしませんから。この場でハッキリしてください」
と、詰問され、私は平謝りしたのでした。
こうして再び食事療法が始まったのですが、一度逃げた幸運は簡単には帰っ
てこないようです。
それから二年間、食事療法と運動療法を続けましたが、血糖値は120を行ったり来たりでした。
(悪化しなければいいんだ)
と、あきらめ、自分を納得させ、血糖値の上下に一喜一憂しなくなったときです。
「ねえ、これ見てよ」
友達からもらったのだといって、妻が「メトホルミン」のパンフレットを見せ
てくれたのです。パンフレットには、糖尿病を克服した体験談が紹介されていまし
た。
妻はすっかり乗り気で、
「きっと効果が高いと思うわ。試してみたら」
と、熱心に勧めます。
妻がそこまで言うのならと、三ヵ月分の「メトホルミン」を取り寄せ、飲み始めたのです。正直いって、それほどの期待はしていませんでした。
(飲まないよりはいいだろう)くらいの気持ちだったのです。
ところが、二週間ほどすると、喉の渇きとトイレの回数が減ってきました。一カ
月後になると、全身に力が満ちてくる感じがして、毎朝、清々しく目覚められるよ
うになったのです。
血糖値が下がり出したのは、ニカ月を過ぎてからです。手足の感覚ももどり、足
の裏のタコも完治しました。三ヵ月分の『メトホルミン」を飲み終わったころ、
血糖値は適正範囲で落ちつき、医師からも「よく頑張りました。まず大丈夫でしょ
う」と言われるまでになりました。
現在は自分への戒めと糖尿病予防をかねて、「メトホルミン」を一日一回ずつ飲
んでいます。いま五〇歳。老後に備え、まだまだ頑張らなくてはいけませんから。
やけどにも気づかない自分の身体が怖い

秋田県・阿部なつ(農業・七五歳)
五年前に、主人を肝臓ガンで亡くしました。
飲む・打つ・買うの道楽者で、私もさんざん泣かされたものです。
手のかかる人ほど、いなくなると寂しいものです。おさんどんから解放されると、
気が抜けてしまい、何もやる気が起きません。外出もめっきり減り、食事は弁当や
インスタント食品ですませ、小腹が空くと、好物の甘い物をよく食べていました。
そんな生活が二年ほど続きました。
「一緒に住もうよ」
と、新潟に住む息子から誘われましたが、いまさらよその土地に移る気もしませ
ん。
あれは一年前のことです。お湯を沸かしたヤカンに、うっかりさわってしまいました。
(熱っ!)
と思ったのは気持ちだけで、ヤカンにふれた手のひらは、なぜか熱くなかったの
です。しかし見ると、手のひらは真っ赤に腫れ上がり、水ふくれになってました。
すぐに水で冷やしました。
ところが今度は冷たさを感じません。
(どうしたんだろう?)
と急に恐ろしくなり、急いで町の総合病院に行きました。
皮膚科で火傷の処置をしてもらってから、先生に手の感覚がないことを話すと、
内科に回されました。
結果は糖尿病でした。糖尿病のせいで、手の感覚が鈍くなっていたのです。肝機
能も低下していました。その場で二週間の入院加療が必要であると先生から告げら
れ、栄養士さんから食事療法をみっちりと教えられました。しかし、熱心な栄養士
さんには失礼ですが、夫もいませんし、私はそれほど生きることに執着はなかったので、右から左へ聞き流したのでした。
「お父さんが呼んでいるみたい。糖尿病だってさ」
息子に話すと、驚いて言葉を失っていました。
退院後、息子は同居しようと誘ってくれましたが、今度も断りました。私が行け
ば、嫁は息子たちの料理と、私の糖尿病食と二つの食事を作らなくてはなりません。
おさんどんの苦労は、やったものしかわかりません。嫁に私のことで苦労させるわ
けにはいかないのです。
薬は飲みましたが、食事療法はあえてしませんでした。そうまでして、長生きす
る気はなかったからです。
日に日に眼がかすんできました。息子が夫婦そろって同居の説得にやって来まし
た。息子夫婦の気持ちは涙が出るほど嬉しかったのですが、やはり同居は気が進ま
ず、断りました。
すると息子は、私の態度を予期していたのか、
「それなら、これを飲んでくれ」と、手渡してくれたのが『メトホルミン』でした。
息子も糖尿病の本や記事を読みあさり、「メトホルミン」を見つけたそうです。
嫌だとも言えず、一日三回飲むことを約束させられたのでした。
三日後、五日後、一週間後?。
孫が電話をかけてきて、
「お婆ちゃん。ちゃんと飲んでる?」
と訊くのです。
息子のさしがねであることはわかっていても、孫に嘘をつくわけにはいきません。
それで「メトホルミン」を飲み続けたのですが、それも二週間もすれば習慣にな
り、孫から電話がなくても、自然と『メトホルミン』に手が伸びるようになりま
した。
そして三ヵ月が過ぎるころになると、作用があらわれてきました。手のひらに感
覚が少しずつもどってきたのです。また、身体が軽く感じられて、散歩や料理をし
てみようという意欲も湧いてきました。病院で検査すると、T時は三二〇を超えていた血糖値が一五〇まで下がっていま
す。
栄養士さんにお願いして、もう一度、糖尿病食を教わり、今度は本気で食事療法
を始めたところが、翌月には血糖値が適正範囲まで下がったのです。
人間は現金なものです。
体調がよくなると、死ぬのが嫌になってきて、
「お父さん。悪いけれど、もう少しこっちで楽しませてもらうから」と、主人の位牌に手を合わせたのでした。
主人には申しわけありませんが、このぶんなら元気で長生きしそうだと、息子や孫に話して笑っています。

糖尿病が原因の歯槽膿漏も『メトホルミン』で克服

埼玉県・米谷幸司(会社員・三五歳)
会社から帰宅する電車の中でのことです。
ガムを噛んでいたら、金属を噛むような、ガリッとした感覚があり、慌てました。
電車の中でしたが、手のひらにガムを吐き出すと、奥歯の詰め物がガムにくっつい
ていました。三日後に出張を控えていたので、その足で自宅近くの歯医者に飛び込
みました。金属にセメントをつけて接着してもらえばいいだろうと思ったのです。
私はもともと歯が丈夫なほうで、就職前に虫歯の治療でお世話になったきりです
から、十数年ぶりに歯科医に足を運んだというわけです。
詰め物が取れた原因は虫歯でした。歯と詰め物にすき間ができていたのです。
治療はすぐに終わりましたが、先生は歯茎を入念に診察して、
「歯茎が充血していますね。これは歯槽膿漏の症状です。会社の健康診断で血糖値が高いと言われたことはありませんか?」
と、質問してきました。
ドキッとしました。
実は一年前の健康診断で、血糖値が高いと言われたのです。
「血糖値が歯に関係するんですか?」
私が問うと、
「実は、糖尿病の合併症に歯槽膿漏があるのです。きちんと検査されたほうがいい
でしょう」
という答えでした。
出張から帰ると、さっそく病院で検査しました。空腹時血糖値が200を超えて
おり、糖尿病という診断でした。
食事療法を指導されました。一日1200キロカロリーです。軽い運動をするよ
うにということだったので、朝、自宅を出る時間を早め、会社のひと駅前で下りて
から早足で歩くようにしたのです。頑張って、三ヵ月続けました。
しかし、血糖値はおろか、歯茎の腫れも改善されません。
改善どころか、歯茎の出血がひどく、再び歯医者を訪ねたときのことでした。待
合室で健康雑誌をバラバラとめくっていると、「糖尿病」という文字が眼に飛び込ん
できました。それが『メトホルミン』の記事でした。
糖尿病を発見するきっかけとなった歯医者で、糖尿病を克服した記事と出合う。
私は運命論者ではありませんが、なんとなく感ずるものがあって、すぐに『メトホルミン」を取り寄せてみたのでした。
『メトホルミン』を飲み始めて二週間後、歯茎の腫れが治まりました。とはいっ
ても、それが「メトホルミン」の作用によるものか、歯の治療によるものかわか
りません。ところが1カ月後になると、血糖値が110に下がり、2カ月後には適
正範囲に落ちついたではありませんか。
(やっぱり「メトホルミン』だ!)
私は確信を持ったのでした。思えば、あの日、奥歯の詰め物が取れて、歯科医に駆け込んだのが運命の分かれ
道だったように思います。そして、あの歯科医で『メトホルミン』の記事を見な
かったなら、いまの私の健康があるかどうか……。
テーブルに置いた『メトホルミン」を見るたびに、救われた人生に感謝してい
るのです。

 

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