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女性ボディービルダー体験談

      2016/05/31

女性ボディービルダー体験談

減量期間の話

それは耳たぶのような柔らかさを持っていた。 ビニール袋の上から親指と人差し指の腹で挟み何度も感触を楽しむ。この場で欲望を満たすことはかなわない。それがわかっているだけに、いつまでも指先で遊んでいたかった。円を描くようにゆっくりと指を動かすことが、舌先で甘さを味わうより素晴らしい。彼女はそう思った。 気がつくと、おしつぶされたビニール袋が小豆色に汚れている。彼女はレジの方に目をやり、そっと置パンを棚に戻した。コンテストに向けて調整に入ってから二か月、コンビニに入ると、彼女は決まってこのような行為に歌るはうになっていた・・・。

彼女の告白を聞くと、高橋明美(旧姓松本)らその場にいた女性ビルダーたちは何度も領いた。

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「ボディビルだけでなく、厳しいダイエットを経験したひとなら、この気持ちはわかると思う・・・表面上は健康そのものだったけど、私たちは身体も精神もぎりぎりのところでトレーニングしてる。日本にプロビルダーの制度はないけれど、コンテストに出ている選手の意識は、とにかく男も女も趣味の域を越えちゃっている。自分の筋肉のことが一番で、家族や社会のことは二番って感じで何も見えなくなってしまう人が多いと思う」

快活な性格とはっきりとした物言い、狙御肌で面倒見のいい明美は、男女を問わず多くのボディビルダーに慕われている。横浜市保土ケ谷区にある明美の家には、よく女性ビルダーたちが泊まり込みで遊びにきていた。相鉄線の横浜駅から各停で十五分ほどの距離なのに、駅前から少し歩くと林が続き、夏になると川にはホタルが飛び交う。そんな場所に明美の家はある。「なるべく一日の摂取カロリーは1,000カロリーを切らないようにしているけど、コンテストの三週間前になったら800カロリーくらいに落とすの。バナナ一本とプロテインに卵白。食べるのはこれだけ。トレーニングが終わるとフラフラ、駅の階段でお婆さんに追い抜かれちゃう」明美の言う800カロリーといえば、平均的な二十から四十歳代女性の所要量の半分以下だ。

それでも、「私もそうよ」「それくらいしないと脂肪は落ちないものね」と彼女たちは次々と口を開く。別の女性ビルダーは、減量中に気がつくとデパートの食品売り場をさまよい歩いていた、と話した。明美は再び自分の体験を語った。「テレビでやってる大食い大会、あれを見るのが大好きなの。他人様には違いないけど、あれだけ豪快に次から次と食べられると、こっちの胸がスーッとするわ」ひとしきり笑い声が続いた後、別のひとりが彼女の言葉を受ける。「たったひと口だけでも、ケーキや甘いものを食べるとキレちゃうよね。それまでずっと我慢していたストレスが、ぐわーっと堰を切ってしまう。そうなると、もう食べ続けるしかない。

理性じゃないんだもん、本能が食べているんだから止まらない」この女性ビルダーは減量中の、たったひと口の誘惑に勝てず、過去にコンテストを断念した経験を持っている。明美の場合は、毎年五月二日の誕生日を機に減量を開始していた。オフシーズンには160センチ、 65キロある身体を53・5キロまで落とす。食品成分表とノート、電卓はどこに行く時も必ず携帯し、口にしたものはすべて内容と分量、カロリーをメモする。「これ以上体重を落とすと、筋肉も犠牲にしなくちゃならないギリギリのラインが五三・五キロなの。もし私の身長があと五センチ低ければ、五二キロまで落とせたと思う。そうすれば最後のアマチュア世界選手権(ミスユニバース)で、ミドル級じゃなくもう一階級下のライト級で楽に戦えたんだけど。ライト級なら、もっと順位を上げられただろうな:まあ、こればっかりは仕方ないことですけどね」明美は減量の成否を体重計や体脂肪計でなく、自分の体調で測っていた。

「基準は生理ですよ。生理があるうちは、まだ甘い。生理が止まったということは、私の身体から女性に必要な脂肪がなくなったということなの。言い換えれば、私は女でなくなることでコンテストで戦う身体を手に入れるわけ。皮下脂肪を取るために充分なカロリーをとってないうえに、毎日トレーニングで身体にストレスを与えているわけだから、生理が止まるのも当然なんですけど」普段から筋肉質で脂肪の少ない彼女だが、それでも二○パーセント弱の体脂肪がついている。

体脂肪が15パーセントを切ったら生理がストップするといわれている。明美の場合は、減量を開始して90日ほどたって体重が6、7キロほど落ちてくると生理が消える。彼女はそのまま三か月以上にわたるコンテスト期間に挑む。「生理がなくなるくらい何でもないわよ。だって私たちは勝負の世界にいるんだもの。目の前のコンテストのことしか眼中にない。自分の将来がどうこうだとか、そんな先のことは考えてもいないし、考えられない。考えちゃうような人は、その時点で負けね」 彼女たちはコンテストのために肌を黒く焼き込む。過度な紫外線は、肩や背中にシミやソバカスとなって現れる。

脂気のない指に目をやると、潤いはなく老女のようになっている。

「このまま歳をとると、どうなっちゃうのかしらって心配になりますよ。だけど、コンテストに立ち向かう時は、お肌や身体のことを気にしちゃいけないんです」

コンテストが終わり普通の食事に戻ると、明美の腹部からパリパリという乾いた音が聞こえてくる。

「それまでずっと塩分を控えているから、身体に塩分が入ると、ものすごい勢いで細胞が水分を吸収していくの。身体がどんどん膨らんでいって、たった一日で四キロ体重が増えたシーズンもあった。そうすると、ペちゃんこだったおなかが、ぶっくりと出てきて皮膚が割れちゃうの。かさかさの肌がパリパリと音を立ててひび割れていく」

ボディビルダーが目指すのは極限まで肥大した筋肉だ。明美は言う。「女子でもボディビルダーである以上、最終的な目標は変わりません。でも私たちと男子ビルダーが 違うのは、女子ビルダーには女性らしさ、も求められる点ですね」 だが女性らしさとは何なのかー当の彼女ですら、苦笑して肩をすくめた。

ただ、男女の身体を比較するとその性差は歴然としている。一般的に男性は女性より身体サイズが大きく、筋肉が発達しやすい。骨格も骨盤などの例外を除けばサイズは大きく、骨密度も高い。一方、女性の身体は男性より10から15パーセントも多い脂肪で覆われている。乳房や腎部、下腹部の膨らみは脂肪のなせるわざだし、それらの部位はセックスアピールに直結している。蓄えられた脂肪は妊娠と出産、授乳などのェネルギー源となり、子宮をはじめとする臓器を保護するのも重要な役割だ。身体性差の理由を遺伝子レベルにまで求める者がいるし、狩猟採集時代の役割分担に原因を見出す者もいる。

男性ホルモン・テストステロンと女性ホルモン・エストロゲンの効用も見逃せない。ふたつの性ホルモンは男女ともに体内で分泌されるが、性差で分泌の比率が著しく異なり、それが男女の身体的な特徴を形成する。筋肉がサイズアップするには、男性ホルモンと成長ホルモンが手を結ばなければいけない。身長と体重、トレーニング量にトレーニング方法、栄養摂取など諸条件が同一であっても、女性ホルモンが優位で男性ホルモンの分泌が少ないという理由で、女性は男性のように大きな筋肉を入手することができない。それでも世界的な傾向として、女性ビルダーの筋肉は男性化が進んでいる。

特にアメリカの女子プロ選手は、アナポリック・ステロイドや成長ホルモンなどのドーピング効果もあって、首から下は男か女か判別できないような筋肉を持つ。日本の女子選手たちも、欧米に比べたら大幅にスケールダウンするものの、肉体は年々進化している。日本選手権(ミス日本)に登場するような高いレベルの女子選手たちでも、八○年代には腹筋をはっきりとセパレートできる者は少なかった。

だが今では地方大会でもそういう選手はザラにいる。ミスター相本などの審査委員長を務め、国際ボディビル連盟(1FBB)公認国際審査員の資格を持っ政機勝態は、女子ビルダーに求められる資質をこう説明する。「ボディビル競技である以上、女性であっても最初に求められるのは筋量です。日本人女性という身体の枠の中で、さらに薬物を使わない前提のもと、どこまで筋肉を発達させられるかーだけど女性に男性の筋量を無理強いするものではありません」とはいうものの、コンテストで勝つために女性ビルダーたちは究極の筋肉を求める。

ステージで肉体を誇示するのに、筋肉を覆う脂肪は邪魔だ。女性ビルダーたちは乳房を大胸筋に、お尻は腎筋群に仕立て、ウエストには腹筋を浮き上がらせなければいけない。神が配分した分厚い脂肪を削ぐには限に近いダイエットが必要となる。こうしてステージに立った彼女たちには、さらに女性らしさ、が要求されるのだ。 ー健康美ー 一九九八年の夏、高橋明美と五年ぶりに会った。まず、彼女の白い肌に驚かされた。「だって、もう五年もコンテストに出ていないんだもん。

日焼けしてなければ、私だって白いんですよ」少しふくよかにはなったが、大きな肩と細い腰、頑丈そうな下半身:Tシャツからのぞく腕を曲げるたびに、上腕二頭筋の隆起が見て取れる。そのプロポーションは健在だ。「コンテストに出なくなってから、ダンべルには一回も触ってない。トロフィーは全部捨てちゃった。確かに私の人生の中で、あの頃は光り輝いていた時期ではあったけど、もうすんじゃったことだもん」なるほど、リビングを見渡してもボディビルに関わるものは、何一つ見当たらない。かつて日本を代表する女子ビルダーたちが集まった場所は、長男の一馬君の玩具でいっばいだった。明美と夫の一幸は、夫婦それぞれの父母と三世帯同居をしている。

子育てはもちろん、床に伏しがちな夫の両親の介護も彼女の役目だ。「朝から晩まで身体の休まるときがないですよ。でも、家庭や家族って大切だと思う。私は決して悲観的にはなりたくないし、これだけの人の面倒をみているんだから、忙しいのもしょうがないわって、いつも笑っているの」九四年、一馬を身ごもった時点で明美はすべてのコンテストから退いた。彼女のコンテスト歴は約欄の一語に尽きる。実質五年という短いコンテストビルダー生活で、類例のない戦歴を重ねてきたー八八年にミス神奈川に優勝したのを足掛かりに、その年のミス日本では初出場二位。

ボディビル歴わずか一年にしての快挙だった。九○年はミスユニバースのライト級六位、翌年九代目ミス日本をもぎ取り、ミスアジア(アジア選手権)ミドル級も制する。絶好調の彼女は、その年のユニバースで日本人女性としては過去最高位の五位。九二年には再びアジアの女王に君臨し、最後となったユニバースでは一階級上げてミドル級に挑戦している。全盛期の彼女を知る者は、サイドポーズで見せる三角筋の盛り上がりと、そこに浮き出る血管がもたらす迫力を必ず語る。

筋肉の大きさと均整は、なまじの男性ビルダーをも圧倒する。それは、かつての日本人女性ビルダーにはないものだった。茶色を限界まで煎じつめたくらいに焼き込まれた肌、全身を覆う筋肉群ーそのくせステージの明美は、まぎれもなく女性をアピールしていた。 明美は一九五六年に横浜で生まれた。小さな頃から運動神経に恵まれ、公立の保土ケ谷中学、私立成美学園高校(現在は横浜英和女学院高校)時代は短距離走とバスケットボールに熱中している。

「進学校に通っていたくせに大学へ行かなかったのは、ちょっとした意地ですね。私、本当は農業大学へ行きたかったの」

明美は、大好きだった祖母が園芸を趣味にしていたことがきっかけで、幼い頃から植物や庭いじりに親しんでいた。園芸熱は年ごとに高くなり、高校時代にはかなりのマニアになっている。「自宅の横に四○坪ほどの空き地があってね、そこを利用して菜園を作ってました。鍛とスコップを使って土地を掘り起こし、敵を作って、種を植えて:かなり本格的に農業してたのよ。今から考えると、あの農作業は自然を利用した筋力トレーニングになっていたのかもね」当時を思いだして笑う彼女だが、朝晩の水やり、施肥や害虫の駆除などをひとりでこなすのは並大抵のことではない。「私って、好きになるとのめり込んじゃう性格だから。そういうモードに入ると、全然苦労なんか感じなくなってしまうの」農大に行きたいといったら、両親は猛反対した。大学を卒業して北海道の農園にでも嫁がれたらそれこそ一大事と思ったんじゃないかな、と彼女は再び笑う。

「親は地元か東京の女子大に進めばいいって勧めてくれたけど、当時は女子大生プームということもあって、大学がレジャーランドになっていたのね。私は遊び半分で大学へ行くのは絶対にイヤだった。それなら就職して働きますって、大見得を切ったというわけなんです」

横浜銀行に就職して半年後、明美は秘書課へ転属する。秘書として担当したのは副頭取だった。挨拶、電話の応答から生け花、お茶の汲み方など立ち居振る舞い、行儀作法を細かく教えられた。スケ ジュール管理、配車手配、アポ取りといった業務もこなさなければいけない。丸文字を答められペン習字を強制された。自分の粗相が、銀行全体の恥になるというプレッシャーも大きかった。履き慣れたバスケットシューズをパンプスに変え、奮闘する日々が続く。

「ボスの出社は八時だから、最悪でも七時半にはデスクに座っていなければいけない。残業続きの毎日で、夕方五時終業なんてワンシーズンに数度のことでした」

五百円玉大の円形脱毛が一一つ、その周りを十円玉ほどのが十近くも衛星のように取り巻いている。こう指摘されたのは秘書職になって一年後、通い慣れた美容室でのことだった。「とてもスポーツできるような環境じゃなかったですね。だけど私はそれでもよかった。与えられた秘書という任務をこなそうと必死だったから」足掛け九年銀行に動めて、明美は辞表を提出する。

「九年も秘書をしていると、どうしてもお局様って感じになっちゃうしね。それに、銀行員のかなり深い陰の部分を見てきているから、このまま銀行員と結婚して将来は支店長夫人っていうのも、どうかなって。自分としてはやれるだけのことはしたし、少しのんびりしたかったの」

銀行員時代、ずっと体型を維持できていたのは、ストレスとプレッシャーのおかげだった、と彼女は言う。その後、明美は大手流通企業、親戚が経営する病院などで事務職として働く。心のリハビリ期間と本人が表現する日々の中で、久しぶりに身体を動かしてみたいという気持ちになった。「私が三十一歳になった八七年のことだけど、運動不足解消目的でフィットネスクラブに入ったんです。当時はエアロビクスが大ブームだった。私はああいう有酸素系の運動が大好きだったし、とにかく身体を思いっきり動かしたかったの」

ボディビルには、まったく興味がなかった。ウエイトトレーニングは、インストラクターが教えてくれる通りにこなしていただけだ。だが彼女の肉体は、クラブ内で何人かの注目を集めていた。二年後に夫となる一幸も、そのうちのひとりだ。彼はコンテストにこそ出場経験はないが、熱心なウエイトトレーニング愛好者だった。

「彼女をひと目みて、これはすごいと思いましたね。十年近くスポーツをしていないというのに、筋肉が衰えるどころか完成している。太腿なんかは筋肉がゴツゴツしていたし、肩は男性メンバーより大きかった。筋肉に微妙なニュアンスをつけていけば、ボディビルダーとして日本はもちろん世界でも通用する身体でした」

一幸だけでなく、明美の素質を見抜いたジムのインストラクターたちも、ぜひボディビルをするよう熱心に奨めた。ボディビルコンテストではステージの上に選手が並び、審査員や観客は低い位置から仰ぎ見る形になるから、肩を構成する三角筋が大きく肩幅が広いと、それだけで逆三角形の体型が強調でき非常に有利になるーおまけに、彼女がウエイトトレーニングのマシンを扱うと、おもしろいように重量が挙がった。

「一回ならいいかって感じで、トレーニングが終わった後、インストラクターたち、いわゆるウエイトトレーニングマニアの人たちと食事に行ったの。だけど、彼らの話題って筋肉のことしかないじゃない。この人たちって、バカなんじゃないかって思ったわ。私もやがてボディビルに人一倍のめり込んでいくんだけれど、チャンピオンになった時もそういうのは大嫌いだった。ボディビルをやめた時に社会人として何も残らないっていうのがイヤだった。OL生活が長かった分、社会の常識を忘れら れなかったのかもしれないわね」

そんな彼女が本格的に筋肉を意識するのは、クラブが主催した腕相撲大会だった。優勝者にはサイパンペア旅行が副賞として渡される。明美と交際を始めていた一幸は、それを狙えと盛んに楚きつけた。

「私にも少しは自信があったから申しェわけです。結果は優勝でした。その決勝戦で対戦したのが、九○年に第八代のミス日本になる木村孝子さんだった」

腕相撲では腕に力を入れるのだが、女性にとって腕に力を入れる、という行為は、頭の中で理解していても身体ではなかなか実行できない。それは筋量が少ないということもあるし、運動神経が未発達で筋肉までうまく意識を配れないということもある。ところが明美はマッスルコントロールを簡単にこなした。

「私にとってはごく普通のことが、どうも普通の女性にはできないみたいだということを知ったんです。おまけに優勝したことで、フィットネスクラブに顔を出すたびにインストラクターたちが、松本さん才能あるよ、本格的にボディビルをやろうよ、ってうるさいのなんの」おだてられて悪い気はしない。だが明美は、筋肉を鍛えることをためらっていた。彼女はずっと、自分の肉体に対して複雑な思いを抱いていたからだ。明美は中学、高校とバスケットボール部に所属しながら、その俊足ぶりを認められて陸上部の短距離メンバーとして駆り出されている。中学時代には100メートルを一三秒そこそこで走る快足だった。 「学生時代を通じて一度もウエイトトレーニングは経験していません。時代はまだウエイトトレーニングの必要性を認めてはいなかった。当時のトレーニングというとウサギ跳びやダッシュ、ランニングといったのが主だった。毎回とことん自分をいじめてたわね。自分に与えられた課題や練習だけで満足してちゃいけないと思っていたから。他人と比べるのじゃなくて、自分自身の限界を知りたかったの。この気持ちは、ボディビルの世界に入っても同じでした」身長は高校卒業時でも一六○センチに満たないから、バスケットボール選手として決して背は高くない。だが垂直跳び六○センチというジャンプ力が、彼女の武器だった。

「中学時代、もう私の大腿は大きく横に張り出していた。この大腿が、誰にも負けない瞬発力やジャンプ力を生んでくれているのはわかっていたわよ。だけど運動選手としてじゃなくて、少女の私にとっては、この出っ張りが邪魔で仕方ないわけ。可愛い洋服を着ようと思っても、この脚のおかげで似合わないんだもの」シャワールームで友人たちから、筋肉質の身体を指摘されるのは毎度のことだ。

「私の場合はおっばいじゃなくって大胸筋。身体測定は大胸筋と広背筋で胸囲を稼いでいた。友だちはすごいっていうけど、本人としては、そうそう素直に喜べない心境だったのよ」だからー本格的にボディビルと出会った時、明美は、自分のような変な身体が認められる世界が存在するなんて世の中は広いと思った。

「本当のことを言うとね、私はずっと筋肉のついている自分の身体が嫌いだったんです。この身体は母譲りだった。母も私と同じような体格をしていて、やっばり学生時代は駆けっこが速かったんですって。大人になってからは遺伝ということで、ある程度は諦めたけど、その嫌いだった自分の身体が、評価される世界もあると知って、じゃあ行き着くところまで行ってやろうと決心したわけなんです」明美は自分の身体を、はっきりと異形のものと自覚していた。こんな身体が受け入れられるのは、オリンピックを目指すアスリートくらいだ。だから、スポーツに没頭できた学生時代は、幸せな期間だったといえる。三十歳を越えた今、もうそんな世界には戻れないだろう。

「そりゃボディビルのことは昔から知ってましたよ。だけど、それまでは女子ビルダー・イコール西脇美智子さんってイメージだったのね」 にしわきみちこしかし八七年のミス日本を観戦して、明美の考えが変わった。ボディビルでは西脇美智子の身体と は、別の肉体を求められていることを知った。この大会では、えんどうふみえが勝している。明美は、遠藤のマッシブな肉体を見て、素直にすごいと思った。二位の長谷川尚子も迫力のある身体をしている。あのレベルまで筋肉を鍛えて、彼女たちと戦えるのなら、私もボディビルをやってみたい、と闘志がわいてきた。

遠藤はその年IFBB世界大会ライト級で八位、長谷川も翌八八年に六代目のミス日本に輝いている。明美が「女子ビルダー・イコール西脇さん」と表現した、西脇美智子は八○年代初頭にボディビル界の山口百恵、というキャッチフレーズで、タレントとしても活躍した人物だ。西脇は五七年に生まれた。明美の一歳下ということになる。トレーニングは、兄の清明がボディビルのコーチをやっていたことがきっかけで始めた。

銀行員だった彼女は、兄の経営するジム「ユニコーン」のインストラクターを経て芸能界入りした。確かに顎のラインや口元は、当時大人気だったタレントの山口百恵に似ている。八七年には、にっかつロマンポルノに主演、その後は活動の舞台を香港に移し、アクション女優として活躍した。西脇は八○年と八二年のボディビル実業団健康美コンテストで優勝している。彼女は、コンテスト出場に先立って、八○年六月に開催されたパワーリフティング全日本大会で三位に入った。

そこでは、床においたバーベルを腰の高さまで持ち上げるデッドリフトで、一一二・五キロの日本新記録を樹立している。 当時、雑誌のグラビアを飾った彼女を見ると、極限の筋肉を目指すというボディビルのコンセプトより、世間一般の常識に近いスリムな身体だ。だがボディビルという、社会にとって奇異なフィルターは、彼女を話題の人に祭り上げる好材料だった。マスコミの反応も、筋肉レディ、パワフルギャルと筋肉やボディビルを強調している。彼女を語る見出しは、

「ムキムキで客を呼べるか」「服着て演技」「ボディビルが最高のセックスよ」といった調子だ。 ただ、おそらく大マスコミが初めて彼女を取り上げたであろう、八○年の「週刊文春」は当時の一般的なボディビル観と、西脇の肉体の特質を伝えてくれる。 「ボディビルについては何も知らなかったが、たくましい男性美を競うコンテストがあることは、ぼ んやりと知っていた。

どうしてあのようにモリモリと筋肉がつくのか、とても不思議だった。ましてや女性にもボディビルをやる方があるとは思いもよらなかった。(中略)優勝者は二十二歳のOL、西脇美智子さんという新聞記事をみてびっくりした。コンテストの水着姿の写真は、およそボディビルというイメージからかけはなれてほっそりした感じだった」(太田治子「文春ライフマップ」十月十六日号) 明美の目にも西脇の姿は、男性が求め女性がその視線に応えるための美しい身体、であり、自分のような身体とは別なものと映った。

「西脇さんには悪いけど、女性のボディビルは、あんな身体を目指すものだと思っていたのね。彼女 の身体と、男性をも凌駕するような筋肉質な身体は価値観の違うものでしょ」 ミス日本のタイトルを懸けて、第一回女子日本ボディビル選手権が行われたのは八三年だ。それまで日本のボディビル界には純然とボディビル、を冠した女性のタイトルはなく、西脇が獲得した健康美、などの大会があるだけだった。しかし、西脇の存在がボディビルやウエイトトレーニングの普及に寄与した功績は大きい。

彼女がボディビル実業団健康美コンテストで初優勝した八○年のコンペティター数は二十人だったが、八二年には四十七人にまで膨れ上がっkm 女子ボディビル大会創設のいきさつを、JBBFの女子部門を統括する中尾尚志が説明してくれた。 八○年代に入って、世界中で急速に女子ボディビルのブームが立ち起こってきました。それはコンテストスポーツとして、生涯スポーツとしてのボディビルです。

ところが、日本で行われていた実業団の健康美コンテストは、ステージでハイヒールを履いたり、派手な水着を着用したりとショー的な要素が強かった。日本ボディビル連盟でもスポーツとしてのボディビルを推進するために、コンテストの必要を感じていました」 女と男ボディビルはバスケットや陸上のように競技人口が多いスポーツではない。ひょっとしたら、ここ でなら頂点に立てるかもしれないー明美はそう思った。「決めた以上は、絶対に日本一になってやると思った。中学、高校とバスケットをやってきたけど、 さしたる成績は残していなかったから、その分もがんばろうと」 明美は団体競技が嫌いではない。ひとつの目標に向かって一意専心して突き進むのは、彼女の性格に合っていた。だが、学生時代に表彰台とは無縁のスポーツ生活を送ったのは、どこか無念な気がしていたのも事実だ。

「心のどこかに、私はこんなにすごい能力を持っているのに、どうして報われないのだろうという気持ちがあった。ずっとそれを封印してきたのだけれど、ボディビルという個人競技ならこの感情をぶつけてもいいと思ったの」日本でボディビルのコンテストに出場するなら、ボディビル団体に所属しなければならない。最大組織のJBBFは、四十七都道府県の連盟または社会人ボディビル連盟の所属選手以外のコンテスト参加を認めていない。明美がボディビルを始めた八八年当時は、JBBF以外には九州・大分に本拠を置き西日本を中心に活動していたNBBFがあり、四国にも小さな団体があった。

JBBFとNBBFなどの力関係は、戦国時代末期ほぼ全国を平定していた豊臣秀吉に対して、地方の戦国大名たちが抵抗していた図式を連想させる。明美はJBBFの所属選手となった。手続きは簡単で、要するに連盟に参加しているジムの会員になればいい。所属選手以外がコンテストに参加できないというのは、公認ジムの権益を守るのが主目的だ。現在もそうだが、JBBFは大手のフィットネスクラブチェーンなどを、基本的に公認していない。ジムオーナーは、現役またはかつてのボディビル選手というケースが大半だ。大多数のジムは充分な資金を持たないから、フィットネスクラプとは施設面で対等に戦えない。明美も名目上はジムの会員となったものの、実際はフィットネスクラブでトレーニングを重ねていた。籍だけ加盟ジムに置き、トレーニングは近代的設備が整ったクラブで行うボディビルダーは多い。

彼女はいつも男性とパートナーを組んでトレーニングをした。男性と同じメニュー、同じ重さのハードなトレーニングを、明美は逃げることなく身体全体で受け止めた。明美に限らず、男性と組む女性ビルダーは数多く、女性同士でトレーニングする例は少ない。明美を含めた何人かの意見をまとめると、その理由として、パートナーがコーチ役も務めるという点が大きい。この場合は、当然パートナーとなる男性も、ボディビルダーでコンテスト出場者やその経験者だ。

パートナーの叱陀激励が精神的な限界を突破する原動力にもなる。ボディビルダーが好んで使うァ追い込む、というやつだ。パートナーが男性だと、かなりの重量のバーベルを扱っても、安心して補助を頼めるという声も多かった。 一日のうちの一、二時間とはいえ、ほかとは比べようのないくらい濃密な時間を一緒に過ごすことになるから、恋愛感情に発展する場合もある。

パートナーとくっついちゃうケースはけっこうありますね。私の知っているカップルの多くは、男性の方がトレーニング場でもプライベートでも献身的に尽くしてましたよ。そういう人は、お弁当を作ったり日焼けサロンの手配までしてあげてたから、まるで男性マネージャーみたいね。中には自分のコンテストは放棄して、女性の入賞に懸けている男性もいたな。女の子のほうも、そこまでされると、すべてを任せきってしまうみたいですね。もっとも、私の場合はそうはならなかったけど」 明美のパートナーは七歳年下の現役ボディビルダーが務めていた。彼とは所属するジムが同じという関係だった。 「男性パートナーを師匠という感じで捉えていたし、コンテスト優勝のための重要なパーツという風にも考えてたフシがあったから。

男と女を意識する前にボディビルで日本一、世界一になることのほうに頭と心が行っちゃってた」明美は八九年に結婚した。夫の一幸は建築関係の仕事をしている。明美の場合、ごく初期の頃、当時は恋人だった一幸とトレーニングしていたが、そのうち扱う重量やトレーニング量、回数に差が出てきたので、彼のほうが敬遠するようになったという。「だけど、結婚後も主人にはいろいろとお世話になりました。というより、彼がトレーニングマニアだったおかげで結婚生活が成り立ったと今でも感謝しています。トレーニング以外のボディビル、はすべて彼がパートナーを引き受けてくれましたから」結婚後は一幸がポージングのアドバイスやフリーポーズ用の選曲を担当してくれた。日焼けのためには全身をくまなく日光に晒す必要がある。夫は妻のためにべランダの四方をシーツで覆い、サンオイルを塗るのを手伝った。

トレーニングの帰りが遅くなると、必ずクルマで迎えに来てくれたし、大会やゲストポーズなどの遠征先での細々とした事も彼が請け負ってくれた。「妻が世界一を目指すのなら、僕だって何らかの形で貢献してあげたいですからね」と一幸は照れくさそうに語った。トレーニングと減量のストレスだけでなく、コンテストが近づくにつれ精神的な重圧が高まってくる。そうなると、日々の比細な事が原因で夫婦の日常は修羅場となった。毎回の食事は明美が作る。揚げ物にステーキ、中華料理、イタリアン:自分が食べられないものを、彼女は敵のようにどんどん料理した。一幸にとっては、そんなものを次々と出されても気が引けるだけだ。彼がためらってい ると明美は、

「おいしいのなら、おいしいと言いなさいよ。私の分まで全部たべて!」

とヒステリックに叫んだ。ポージングの練習では、アドバイスの内容ではなく、アドバイスの仕方が気に入らないと明美は痴療を起こす。試合直前、急に弱気になった妻を励ますのも彼のつとめだ。俗説ではあるが、身体的な限界が近づくと一気に性欲が元進するという話がある。徹夜明けや激しいスポーツの後、肉体は疲れきっているはずなのにセックスの衝動が沸き起こるというものだ。明美は、あまりにトレーニングのストレスが大きすぎて「なかなかそんな気にはならなかった」

と一笑に付す。彼女はセックスにまつわる話題を、トレーニングパートナーという観点から話してくれた。「監督やコーチが女性部員に手を出した、出さないって噂話はよくあるでしょ。こういうのって、セクハラオヤジの犠牲になる場合がほとんどなんだろうけど、身体を精神的にも肉体的にも追い込んで行くと、最後の最後には一番信頼している人に抱かれたいと思うことだってあるんじゃないかな。

ボディビルの場合は、トレーニングの補助だって想像以上にボディコンタクトが多いしね。スクワットなんか後ろから全身を抱かれるようなものだもの。男女の関係を排除してトレーニングしているうちはいいけど、いったん異性を意識してしまうと、そういう関係になるのは早いかもしれないですね」肉体関係、もしくは恋愛感情がボディビルに絡んできたらー明美は、何組かの夫婦ビルダーを知っているけれど・・・と前置きして語る。「二人ともコンテストに出るとしたら、単なる共通の趣味では片付かないから、ボディビルは。夫婦とか恋人の前に、互いがライバルみたいな感じになっちゃう。シーズンに入ると二人ともピリピリするし、わがままが出ちゃって、どうしても衝突することが多くなるんですよ。私個人としては、パートナーとはクールな間柄でいるほうがいいと思いますね」運動生理学は適度な運動と適度な休息を奨めている。だが適度なトレーニングでは適度な筋肉しかできない。「黄色の信号でクルマを止めていてはダメ。赤でも突っ込んで行くくらいでなくっちゃ。ボディビルは肉体スポーツでなく、メンタルスポーツだと思う。このくらいでいいやと考えた瞬間に、もうその人はチャンピオンになる資格を失っているんです」

明美は、余暇を有意義にとか、運動不足を解消しようというレベルでボディビルに取り組んだわけではない。はっきりとトップになることを意識していたし、自分にはその可能性が高いことも知っていた。さらに彼女は、三十三歳という、スポーツを開始するには決して若くない年齢に焦りを覚えていたから、いきおい急速に身体をつくり上げようという意識が強く働く。彼女の頭の中には筋肉図が叩き込まれている。

トレーニング中は、自分がどの筋肉を使っているかを常に意識していた。限界が近づくと、パートナーが「休むな!もう一回!」と容赦なく声をかける。気持ちの上の苦しさなど、本当の肉体の苦痛に比べれば甘いものだ。肉体の限界が近づくと、筋肉の細かな線維がちぎれていくような気がする。

それは痛みだけではなく熱さを伴ったものだ。肉だけでなく健や靭帯、骨までもが軌む。いくら呼吸しても肺に空気が満たなくなり、目の前が真っ暗になったかと思うと、いきなり関光が走る。家に戻れば、身体は疲れきっているはずなのに、ベッドに入っても眠りが途切れ途切れになった。「眠るにも、それなりの体力が必要なんですよ。こんなトレーニングを一生続けるなんて、とてもできはしない。

人間が限界状況でひとつのことを突き詰められるのは、三年から五年が限度なんじゃないかしら。狭い、偏屈な世界へ自分を押し込んで、がんじがらめにして、やっと納得できるトレーニングができるのだと思う。それでも本当の限界には到達できていなかったような気がする」八八年の夏、明美は本格的にボディビルを始めて三か月というキャリアで、神奈川県のコンテストに出場する。

控室で水着になった瞬間に勝ったと思った。ライバルたちは黒く日焼けし、厳しいダイエットを経てはいたが、どの選手も「マッチ棒みたい」だった。十月、明美はミス日本に挑み、タイトルは前年準優勝だった長谷川尚子に譲ったが、初出場二位という快挙を遂げる。

彼女はここで、それまで知らなかった、ボディビルの新たな一面を実感した。「日本最高峰のステージに立ってみて、一番感じたのは、ここで筋肉だけを見せてもダメだってことだった。コンテストで求められているのは筋量や質、バランスだけでなく、女性らしさやボディビルを楽しんでいるという雰囲気を醸し出すことだと思い知ったわ」明美は、ボディビルのコンテストであっても、男性の観客は女性ビルダーの筋肉だけでなく顔立ちや振る舞いなどに大きな興味を抱いているはずだ、という。「私の周囲の男性ビルダーだってそうだったもの。失礼な男どもだとは思うけど、ある面では仕方のないことなのよね。どうしても男性は、女性の外見や第一印象から入っていくから。

だからこそ私は、男性にも女性にも共感してもらえる女らしい筋肉美、はあるはずだと思った。それを追求すべきだと」コンテストに出る女性ビルダーの多くは、トレーニングをハードにこなすことより、日焼けとダイエットに意識が向きがちだ。 「しょせん女は筋肉の大きさで男性に勝てない。

これは事実です。でも、だからといって濃い化粧をして、露出度の高い水着をつければいいってもんじゃない。男性の筋肉を見る目も女性らしさを求める視線も満足させ、そして女性から見た場合でも、筋肉美と女性美を感じさせる身体をつくるのが理想なんです」男性には筋肉の大きさで勝てないけれども、男性と違う女性ならではの筋肉を披露することが可能ではないかー

ミス日本のステージに立った時、表現力のある人、華を持っている人でなければ絶対にタイトルは取れないということがわかった。

筋肉は鍛えるだけでなく、見せなければ、あるいはせなければいけない。ボディビルを追求すると、女性とは対極にある男性の筋肉に到達するのかもしれない。しかし、女性は自分の性を放棄してはいけない。女が男になるのでなく、女は女として筋肉をつくり上げアピールしていく必要がある。彼女はハードなマッスルをアピールするだけでなく、女性としての魅力に富んだステージングを披露しようと心掛けた。減量で生理は止まっていても、身体は女性らしからぬ筋肉で包まれていても、心は女性でなければいけない。

「女性らしさは、表情とか身体の動きに必ず現れると思う。実は伯母がスナックをやっていて、少しの間アルバイトをしていたことがあったの。そこで、男たちがァ女らしさ、をどう考えているかを学んだのね。美人とかグラマーって本当はそれほど関係ない。じゃ何かというと、仕草や表情から参み出るお色気だったり、優雅さや愛嫡なんです。お店で人気ナンバーワンになる女の子に特別な美形はいない。みんなそういうムードを持っている女性だった」

女性の中には、頑なに女性らしさを否定する人たちもいる。明美には性同一障害に悩む女性の友人 がいて、彼女たちは性の対象として女性を愛し、男性のような髪形とファッション、態度で暮らしているという。彼女たちはボディビルダーではないが、女子ビルダーの中には、そういった性向からボディビルを選んだ女性もいるかもしれない。さらには性同一障害でなくても、さまざまな理由で女性であることを嫌悪する人々がいることを明美は強調した。

「セクハラは会社だけの話じゃないんです。小学生だってちょっと発育のいい子だと、大人びた身体になります。そうなったら、小学生でもセクハラの対象ですからね。この時期に性的な屈辱を味わうと、一生の心の傷になってしまう。それが原因で、女性らしさを嫌悪する子になってしまう可能性もあるでしょうね」そういう女性たちにとっては、肉体を女性化でなく男性化する作業が、救済になるのかもしれない。だが女性という性を拒否してばかりでは、女性ボディビルダーとして完璧ではないと明美は言う。さまざまな角度と視点が必要とはいえ、女性が考える女らしさとは何なのだろう。「それは女である私にとっても難しい質問なんです。

やっばり内面と外面の女らしさが必要だと思う。だけど男が求める女らしさ、特に色気が強いと女性の拒否反応は大きいでしょうね。色気より、醜っぼさが必要だと私は考えていました。ボディビルで身体は男性に近づいていても、心はそうじゃいけないってことね。私たちはおっばいより大胸筋が目立つけれど、おっばいがなくなってしまったわけじゃない。男性のような身体を目指しても、女性としての誇りと特質まで失っていないんです」自信に満ちた姿勢、自分を大切にしていること、母性の温かさ、飾らない表現:明美は女らしさ、をこう語った。

ー世界の舞台ー 明美がミス日本のタイトルを取るのは、デビューから三年後の九一年のことになる。デビュー後からタイトル獲得までの間、彼女は日本選手権に出場していない。それどころか、八九年は国内のコンテストからも姿を消している。「八九年はいろんなことがありましたから」言葉を濁す明美に代わって、夫の一幸が事情を説明してくれたー八八年のオフ、彼女には地方大会ゲストポーザーの依頼がたくさん来た。各県連盟からのオファーだけに、明美はよろこんで出掛けて行った。

ところが八九年の日本選手権を目前にして、彼女の行動が、所属する神奈川県連の承諾を得ていないということで問題視されてしまう。神奈川県連も最初は始末書一枚で済まそうという態度だったが、いつの間にか裁決審議が長期化し、やがてペナルティとして八九年の国内コンテスト出場禁止が通達された。「明美はあの年も厳しいトレーニングと調整を続け、ミス日本のために万全の態勢で臨んでいました。僕は今でも、明美の活躍をおもしろく思わない一部の人たちが、彼女を潰すために仕掛けた陰謀ではないかと推測しています」それでも彼女がクサることなくボディビルに適進できたのは、世界を目標にしたからだった。明美は言う。

「生意気なようだけど、ミス日本はいつだって取ってやると思ってた。国内のコンテストに出してもらえないのなら、世界で暴れてやろうという気になったのは、私の性格からいうと当然のことね」

九○年から彼女はアマチュア最高峰のアマチュア世界選手権に挑む。初出場のメキシコ大会ではライト級六位、翌年のスペイン大会は過去の日本人女子選手最高位の五位。アジア選手権では九一、九二年とミドル級で連覇を達成している。「ホンネを言うと、世界選手権でも三位以内に入ってやるつもりだった。

だけど、会場に行ったらそんな抱負は夢のまた夢だということがわかりましたね」世界にチャレンジした時、日本人ビルダーは例外なく欧米人の骨格や筋肉の大きさ、に驚き、ドーピングという現実を突きつけられる。

日本では女性離れした筋量を誇る明美も、欧米の選手と並ぶと痩せて見えた。ユニバースでの六位、五位という成績に関して、彼女は「私より上位の選手は、間違いなくドーピング経験者ですね。そういう意味でなら、私はナチュラル部門の一位ってことかな」と冗談めかして語った。「ドーピングをするのは個人の勝手だけど、ナチュラルの選手と一緒のステージに立つのは絶対におかしい。だって市販車とF1カーくらいの差があるんですから、比べること自体が無意味なんじゃない?」もともと、ほとんどサプリメントを摂らない明美だが、知人からもらった外国製や名前を知らなメーカーのプロテインやアミノ酸は絶対に口にしなかった。

連盟から禁止薬物の一覧表をもらい、体の調子を崩した時などは、薬局はもちろん病院でもそのリストを見せて処方を依頼していたほど試合直前に歯医者で麻酔注射をするしないで大騒動になったこともある。「ナチュラルで世界に挑むというのは、誇りもあるし意地でもありますね。ただ九一年の五位という成績は、本当にナチュラルの限界だと思う。あの時のベスト3なんて、男子のミスター日本クラスの選手でも太刀打ちできないような身体ですからね」成績から見ると、ボディビルダーとしての明美のピークは九一年ということになろう。この年、彼女は日本とアジアの女王となり、世界でも五本の指に数えられたのだから「いえ、まだまだ身体は鍛え上げることができたと思いますよ。二年くらいコンテストから遠ざかって体重アップさせるという作戦もあったろうし。

だけど確かに、ボディビルに対する私の心境も、あの頃から徐々に変化してきましたね」世界選手権から帰国した初冬、明美は抜け切らない俺怠感に襲われていた。やがて立っていられなくなり、かかりつけの医者を訪ねた。驚いたのは医者のほうだ。緊急事態ということで、そのまま大病院へ回される。

手足が倍近くもむくみ、ほとんど呼吸できないという症状だった。腎臓と肝臓が刻なダメージを受けていたのだ。「すぐに入院となり、危険なむくみを取るために利尿剤を飲まされました。利尿剤って初めての体験だったけど、あれはすごい。おトイレに行ったと思ったらすぐに尿意を催すんです。しかも毎回、よくこれだけの水分が身体に残っていたなと驚くくらいの量なんです。

あの日は一晩中、眠る暇もないくらいでしたね」この時、明美が感じたのは三つのことだった。まず最初に、このままでは死んでしまうという危機感が募った。さらに、トレーニングさえ続けていけば健康な身体を手に入れられるというが、自分はその範囲を大きく逸脱しているという事実を痛感した。もうひとつは、薬物の驚異的な力だった。利尿剤はドーピング対象薬で、ドラッグユーザーは、減量やアナポリック・ステロイドの使用で溜まっ た余分な水分を除去するためにこの薬を使う。こんなのを使ってる連中とは、まともに勝負しても絶対に勝てるわけがない。「私にとってミス日本のタイトルは欲しかったものだけど、連続防衛に値するものではなかった。日本の、アジアのチャンピオンなんてちっぽけなものじゃないですか。

世界にはもっと、もっとたくさんの強豪がいるんですから。だけどこの熱意も、健康を犠牲してまでコンテストに挑戦していくべきか、薬物ユーザーにどうやって太刀打ちすればいいのかという壁にぶつかって、萎えていったんです」九二年の世界選手権イタリア大会では、階級を上げたが予選落ちし、九三年のシーズンを前にして長男を懐妊したことがわかり、その時点で明美はすべてのボディビル活動をやめた。「私はいい頃合いでコンテストから足を洗えたと思っています。

ユニバースでべスト3入賞は果たせなかったけど、やれることはやったという気持ちですから。だけど、女は家庭に逃げ込めるからまだ救いがあるけど、男性のコンテストビルダーは社会的に認められているわけでもないし、大変だと思います。私の周りにも、働き盛りなのにアルバイトで食いつないで一所懸命にトレーニングしている男性ビルダーが大勢いたもの。あんな姿を見ていると、複雑な心境になりますね」引退後、明美は母となり、そこにも女性らしさの要素を見出した。

妊娠すると、おなかがせり出し、腰回りやお尻に厚みが増す。乳房も大きく張ってきて、本当に自分の身体かと思うほどの劇的な変化が起こる。子どもが生まれた後は、母性の持つ寛大さと偏狭さを実感した。出産は女性の体型だけなく、生きていく環境や性格まで変化させてしまう。母であることは、女であることに新たな一面を 加えてくれた。 「ボディビルのパフォーマンスで、母という側面を表現できたら、きっと素晴らしいことだわね」 ー美の基準ー 国内コンテストには明文化された審査基準がない。それはボディビルコンテストが、常にステージ上に並ぶ選手たちの比較によって成り立っているからだ。筋肉に絶対値はないし、相対化できるものではない。

ただ、フィギュア競技の弱点であり同時におもしろいところでもあるのだが、採点には審査員の個人的な見解がフィルターとして作用する。また、JBBFには女性審査員が数人いるが圧倒的多数は男性だ。「女性審査員の数はもっともっと増えてしかるべきだと考えています。女性審査員が、男性ビルダーの審査を担当することも必要です。現在、文書化した審査基準はありませんが、コンテスト開始前に行われるジャッジミーティングにおいて、口頭で審査の指針を厳格に確認しています」JBBF審査委員長の政枝勝憲は、毎回このミーティングで、時流に流されずに、何よりもまず筋肉の大きさと発達度を見るように強調している。

というのも、ボディビルには筋肉スタイルの流行があるからだ。七○年代はバルク型と呼ばれる体型が主流だった。これは筋肉の細かな表情よりも、その大きさを追求したスタイルだ。八○年代を経て九○年代初頭は、極限まで脂肪を取り除くことで筋線維まで見せるという、カットまたはディフニッション型が全盛だった。

九○年代後半に入って、男にはバルク型への回帰傾向が見られるものの、女子は依然としてカットを重視する流れが続いている。

「あくまでも基本は筋量であるべきだと思います。それにボディビルの本道は、健康スポーツであってほしい。女子は体脂肪が厚いうえに筋肉自体が小さいのですから、筋量をアピールするために、苛酷なダイエットが必要だということはわかります。しかし無理なダイエットは選手生命を縮めるだけです。十年以上現役を続けている女子ビルダーの少ないことがその証拠でしょう。こんなことでは、ボディビル人口の減少にもつながってしまう。今の風潮を是正するためにも、審査員は皮膚一枚まで絞った身体でなく、より大きな筋肉を持った選手を上位に選出するように心掛けたいものです」

現在JBBFの審査指針明文化が議論されている。政枝によると、その指標となっているのがアジアボディビル連盟の審査指針だ。アジア選手権だけでなく、世界選手権も同様の指針が文書化されているという。その概要はこうだー。審査の大項目としては「筋肉の発達」「ポーズ能力」「精神面」が審査される。詳述すると「筋肉の発達」では、筋肉の大きさ、筋肉の輪郭、全体のプロポーション、骨格、筋肉の完全さがリストアップされていて、その他では歯並びやO脚、肌のシミまでもが審査対象となる。「ポーズ能力」はパフォーマンス能力とポーズの選択からなり、無駄な動きやポーズの手順などが査される。

ちなみに女子ではムーンポーズという、客席に臀部を向けた状態で開脚し股間から顔を覗かせる姿勢は禁止されている。ほかにも、過度に臀部が露出したビキニの着用、プレジャッジで髪が肩や背筋上部にかからないこと、イヤリングやペンダント、腕輪、指輪などの装飾品を身につけることなどは禁止だ。「精神面」には、コンテスト全体を通じて自信を持っているか、見ていて気持ちのよい振る舞いを見せているか、観衆および審査員を意識し敬意を示しているか、などが挙げられている。指針を揶揄するつもりは毛頭ないが、「自信」や「気持ちのいい振る舞い」、「敬意」という部分は、やはり個人の見解で解釈に幅が出てくるだろう。

最後は、「他のコンテストでの過去の実績、観衆などの反応、背丈、肌のいろ、顔を採点の対象にしてはいけない」と書かれている。

政枝はいう。

「ジャッジミーティングでは女性らしさを損なわない程度の筋肉、ということもよく議題にのぼります。しかし、何が女性らしさなのか、どういう筋肉なら女性らしさを損なわないのかということを、明文化するのは不可能でしょうね」

女子のコンテストは基本ポーズによる比較審査に比重の六割が置かれる。そこで求められるのは、一面においては男性と同じ価値基準の筋肉であり、他方では女性らしさを損なわない程度の筋肉だという。残る四割を占めるフリーポーズなどのポージングでは、アイススケートや新体操と同じく身体表現という意味にェ接性らしさが必要になってくる。

JBBF役員の増測聖司の意見はこうだ。

「女性らしさを損なわない程度の筋肉ーこの表現をどう解釈するかという議論は、ミス日本のコンテストが始まった八三年から延々と続いているといっても過言ではありません。当然、時代による女性らしさ、の定義も微妙に違ってきているわけですし、審査員の女性美に対する信条や信念の問題でもあります。ただ僕は、女子コンテストを支えている屋台骨が、この女性らしさ、だと思っています。女性らしさ、をどう定義するかは個人の自由だけれど、あくまで女子ビルダーは女性であるべきであって、決して男性であってはいけない。それは選手の筋肉だけでなく振る舞いに必ず現れるものだと思います」

肩を怒らせ広背筋を目いっばいに広げ、大股で歩くーそんな女子選手は顰蹙(ひんしゆく)をかうだけだ、と増測は言う。

「男子だって同じことですが、豪速球一本という選手と、しなやかさや優しさをも表現できる選手とでは評価が全然違ってきます」女性らしさの基準はもちろん、理想の女性体型(プロポーション)にも、さまざまな意見がある。古代ギリシアでは女性の理想トルソ(美術用語で、原意は首と手足のない彫像)を、左右の乳首と乳首の間、乳房の下からへソまでの長さ、へソから股までの長さの三つが等しいことと規定していた。

ところが時代が下ると美の価値観も変わってくるまざまな時代に描かれた女性像から、身体ゃ美の統一基準を発見することはできない。中国では纏足が、ヨーロッパでは腰を締めあげるコルセットが女性美の手助けをした。日本でも江戸時代は柳腰が流行し、豊満な乳房は敬遠されている。『女性の体形調査、三十年前と比べると・・・』という朝日新聞の記事がある(九五年四月二十三日付)。下着メーカーのワコールの人間科学研究所のデータを基に書かれたもので、人間科学研究所は六四年の創設以来、三万人におよぶ日本人女性の体位を計測しているという。

九四年の調査は、関西地区に住む十八歳から五十九歳までの女性一五○○人を対象になされた。中でも興味を引くのが、二十歳から二十三歳の女性の、六四年と九四年における理想値と実測平均値だ。実測値は三○年で身長四センチ(六四年は一五五・四センチ/九四年が一五九・一センチ)、体重二キロ(四九・一キロ/五一キロ)が増えた。バスト(八三・四センチ/八二・五センチ)とヒップ八九・五センチ/八九・一センチ)は少しだけ減り、逆にウエストが約三センチ太くなっている(六一センチ/六三・七センチ)。

30年を隔てた理想の体型を比較すると、現代女性は身長が約三センチ高くなることを希望しているが(一五九・三センチ/一六一・九センチ)、ヒップ(九○・一センチ/八六・一センチ)の四センチ減を筆頭にウエスト(六○センチ/五九・六センチ)、バスト(八六・四センチ/八四・六センチ)とも数字は小さくなっている。「一昔前の、豊かなバスト、絞ったウエスト、大きなヒップというグラマー志向は影を潜め、背は高いが少年のような中性的な体型を望んでいるのがわかる」と記事は述べた。

同研究所は九四年の対象サンプル一五○○人の中から、調査員が「美しい」と感じた八八人を対象にして『美しく見えると思われる指標』もまとめている。それらは「身長と体重」「ヒップ」「高さ」「バスト・ウエスト・ヒップの周計」「バスト立体値」「トルソ」の六ポイントだ。指標で最もバラつきがあったのは「身長と体重」で、身長一六九センチの女性でも、体重五一キロを超えるくらいから六二キロくらいまで一○キロ近い幅がある。「ヒップ」は上向き度と底面の形を座標軸にしており、「四角いおしりは上向きがよいが、底の広い台形ならかなり下向きでも美しい」という結果が出た。

「高さ」は七・五頭身で、ヒップ高が身長の○・五倍、股下は○・四七倍が目安になったという。中でも興味深いのは、六つのプロポーション指標すべてを満たした女性のうち、三割以上が「自分のプロポーションは悪い」と答え、「自信がある」のはわずか一四パーセントだったという結果だ。

ボディビルコンテストではない「ミス日本」、いわゆるビューティーページェントでの、女性らし さや美の基準はどうなっているのだろうか。和田研究所は、六八年に開催された第二回ミス日本コンテストから実質的に運営事務局として大会にかかわっている。第一回の大会は戦後間もない五○年に開催され、後に映画女優となった山本富士子が受賞した。事務局では二回目を「復活第一回」と表現している。

和田研究所は、60年代に和田式痩身法などを発表した、わが国のダイエットプームの先駆者的存在だ。所長の和田静郎がミス日本コンテスト事務局代表を務めている。ミス日本は初夏に応募を締め切り、書類選考、面接審査などを経て秋に地区大会が行われ、そこを勝ち残った者が翌年一月の本選に臨む。地区大会から本選までの期間、候補者の大多数は和田研究所の指導で女ぶりに磨きをかける和田研究所で美容指導を受けた女性は、ミス日本だけでなく、ミスインターナショナルなど他のミスコンテストでも栄冠を獲得しているという。

「ミス日本は、その年の、心身ともに一番美しいお嬢さんを選ぶコンテストと理解していただいて結構です。父が提唱する美人とは、健やかで美しく、内面外面とも輝いている女性です。世界に出ても恥ずかしくない体型と知性の女性たちを見出して育成するのが私たちの使命と考えています」

静郎の後継者として、事務局代表補佐の肩書で精力的に事務局の切り撃りをしている、娘の和田賞子はこう語る。「九九年度の大会コンセプトはァハートフル美人、です。真の意味での美人とは清らかな心の人、慈しみやこまやかな心遣い、必要とされている人へ手を差しのべる心、温かな心が大切だと思います。心の在り方は、必ず表情や雰囲気に現れるものです」ミス日本の本選では三十人の審査員がジャッジメントにあたる。女性審査員は四分の一ほどで、審 査員は協賛スポンサー、雑誌編集長、学識経験者などの面々だ。審査の基準は容貌、容姿、教養、プロポーションの四つに「健康美人度」が九九年度から加えられ各五点の二五点満点で行われる。

容貌では表情がまず第一だ。和田代表補佐は、目鼻立ちのバランスが劣っていても表情でカバーできると断言する。容姿は歩き方や立ち居振る舞いが見られる。教養はインタビューでの受け答えだけでなく、その女性のキャラクターが審査対象になる。プロポーションも大切だ。決勝に残る女性は、脚長、つまりヒップの頂点から輝まで垂直に降ろした長さが、身長の半分以上を占めるという。ここでは全身のバランスはもちろんのこと、肌のコンディションや歯並びなども重要な項目だ。

八重歯は日本では愛くるしいとされるが、ヨーロッパではドラキュラを連想させるということでマイナスポイントとして扱われる。ビューティーページェントでも、明文化された美の基準はない「女性美は年代や時代背景で変わっていくものです。確かに八頭身などの基準はあるんでしょうが、それが絶対というわけでもありません。だって目の大きさとか鼻の高さの基準なんて決めても何にもならないですから。

確かに初期の頃は顔立ちが最も重視されたようですが、ここ十年は顔立ちだけでなくキャラクターで選ばれた方もいらっしゃいます。要するに美はトータルなものなんです」和田代表補佐が特に強調したのは健康美のことだった。「ここ数年、行き過ぎたダイエット信仰のおかげで、体脂肪がずいぶんと悪役になっています。だけど私どもは、女性らしさとは脂肪が作り出すものだと考えております。

水着になった時、太腿の間から向こうが見えてしまうこれでは疫せ過ぎなんです」事務局では九五年から参加者の体脂肪率を調査している。それによると決勝に残った女性の平均は 二○パーセントを割っており、全員がダイエットの経験者だった。統計を取り出してからの優勝者の最高体脂肪率は二三パーセントで、この数字は一般的な指針からいえば適正値と言える。

しかし、ほとんどの優勝者や入賞者たちは適正値以下、疫せている、範囲の体脂肪率だ。和田らは、地区予選を勝ち抜いたミス候補たちの顔を見るたびに、もっと太れと声をかけている。以前なら怪認そうな表情になった候補者たちが、今はわりと素直に耳を傾けるという。

「調査を開始した頃、参加者の理想の体型というのはストンとしたスリムなずん胴型、少年体型でした。ところが最近になって、よりフェミニンな体型、メリハリのついた身体、ボディコンシャスな肉体を理想とするようになってきたようです」和田は具体的にタレントの藤原紀香を挙げた。彼女もまた九二年度のミス日本グランプリ受賞者だ。フェロモン女優、という異名をとるだけあって、藤原の身体は豊満だし、その事実をセールスポイントにしている。さらに彼女は、男性だけでなく女性にも人気があるー女性週刊誌「アンアン」が実施した九八年の好きな女性、人気投票で二位に入っているほどだ。理想の身体、美しい身体をイメージするとき人は何を基準にするのか。

心理学では身体を鍛えることや、ダイエットで疫せる、整形手術を受けることなどを、変身願望と捉える。変身願望の背景には自己実現があり、両者は表裏一体で、つまるところ自分の中の理想像に向かって努力するという意欲のあらわれと解釈できる。変身願望には社会的なものから内面的なものまでたくさんの種類があり、身体に関する変身願望では、多くの人がトレーニングや減量などで自分の理想とする身体イメージに近づこうとする。ボディビルで身体を変化させたいという願望は、決して否定されるべきものではなく、健全で前向きなメンタリティとも言えよう。

その一方で、変身願望の根底には他人のまなざし、、つまり世間体や見栄、見られる・見せる、という要素が大きく作用しているという見方も根強い。見られるに値する、または見せるに足りるものへの憧標が変身願望を突き上げている。それは近親者や会社、学校という身近な社会の視線だけでなく、より広範な不特定多数の視線を意識したものだ。見た目を尊重するあまり、自分に対する確固たる基準や自信を見失う場合もある。

美術史を専攻するアン・ホランダーは、「世界の名画の多くは女性の裸体をありのままの自然な姿ではなく、その時代の服装やコルセットの流行にあわせて描いている」という指摘をした。コルセットだけでなく、女性の肉体美をめぐる基準や流行は国や時代ごとに大きく変遷している。

そこに何らかの形で他人のまなざし、が作用しているのは否定できない。女性の身体美は男性社会がつくった女性らしさ、に振り回されていると主張するフェミニストもいる。 ボディビル界でも、アメリカの女子プロ選手にはシリコン挿入などの豊胸手術を受けたと思われる者が多い。男性化した筋肉とはち切れんばかりの豊かな乳房。彼女たちが巨大な乳房を欲する理由は何なのだろう。自分たちの身体が行き過ぎていることを自覚し、外見的なプラスとマイナスの差を埋め合わせようとしているのだろうか。あるいは、女子プロボディビルダーたちも、豊満な乳房を強調することで女性としての自分を、他人のまなざし、に訴えているのか。

「美醜の基準は異性のフィルターなしには成立しないでしょうね。それと同時に、女性は男性だけで なく同性の視線も気になるんです。女性たちが出会った時の第一声には、疫せたね、きれいになったね、など外見に関する感想が圧倒に多いでしょ。ボディビルダーに当てはめると、大きくなったがこれに該当するかな。こういう言葉は、素直な気持ちの時もあるけれど、たいてい相手を牽制している の。外見だけで人生わたっていけると思っているの、という意地悪さこそが、女性の女性に対する視線を象徴しているわけ」と笑うのは高橋明美だ。対して和田はこんな意見を持っている。「女性が目指す女らしさ、に男性の視線は重要です。しかし、本当に女性が求めている美しさとは、性別に関係なく美しいと認められるものだと思います」

フィットネスコンテスト

90年代に入って世界的な傾向として、女子ボディビルコンテストは衰退気味で、代わってフィットネスコンテストが台頭してきている。 フィットネスとは元来、トレーニングだけでなく食生活などを含めたライフスタイルとしての健康的な生活を指す。そういう意味では、ボディビルやエアロビクスもフィットネスの枠の中に入るだろう。アメリカでは男子のフィットネスコンテストもあるらしいが、主流は圧倒的に女性だ。 では、フィットネスコンテストとは何かー実はこの定義が難しい。もちろんボディビルコンテストではないし、美人コンテストでもない。ましてや競技エアロビクスの大会とも違う。フィットネスコンテストが最も盛んなアメリカでも、フィットネスコンテストの明確な定義付けはなされていない。ボディビルがサイズ、シェイプとも極限の筋肉を求めるのに対して、エアロビクスは運動能力や柔軟性などを競う。

フィットネスコンテストの現状を見ると、両方の要素を程よく取り入れているという 表現が適当だろう。言い換えれば中途半端でもある。コンテストは水着審査と運動能力審査、パフォーマンスの三つが軸だ。中にはドレス審査やインタビューのある大会もある。大会入賞者の肉体はおしなべて均整がとれている上、厳しいトレーニングの賜物の筋肉が見え隠れする。ただボディビルほど脂肪をカットしていないので、その身体は丸みを帯びており、より女性を感じさせる。運動能力やパフォーマンスの審査では競技エアロビクスや体操的な動きをする選手が多く、その技はかなり高度だ。こうした鬼子的なコンテストがアメリカで活況を呈するには理由がある。

女子ボディビルダー、特にプロ選手たちの筋肉の男性化が顕著になったのは八○年代半ばからだった。アナボリック・ステロイドなどの薬物によって、生理的には獲得できるはずのない筋肉を身につけた女子ビルダーを待っていたのは、彼女たちの身体が本来の女性美とは違うという世間の非難だ。一方では九○年代半ばに吹き荒れたアンチドーピングキャンペーンも逆風となった。

ステロイド剤の使用を控えた女子プロビルダーたちは軒並みサイズダウンしてしまい、薬物でつくった筋肉を支持していた層をも失望させてしまったからだ。あわてたのは、それまで女子ボディビルコンテストを主催していたプロモーターたちだ。彼らは女子ボディビルコンテストに代わる目玉として、フィットネスコンテストの開催を実施した。現在アメリカにはフィットネスコンテストを実施している団体が一○近くもある。内訳は1FBBのようなボディビル組織から、ANSなどのテレビ番組制作会社まで多彩だ。フィットネス・インターナショナル、フィットネス・ページェントといった優勝賞金二万ドルを超す大規模な大会も少なくない。

アメリカで広く普及しているESPNなどのスポーツ専門ケーブルテレビには、フィットネスコン テストやエアロビクスなどフィットネス関係の番組が多い。そこに登場するインストラクターたちは長い髪、グラマラスな身体、ハイレグのレオタードや胸ぐりの大きく開いたウエアを着ているという類型にはまっているー彼女たちを男性的な目、で評価すれば、健康的なことはもちろん、美人だしセクシーだ。これはフィットネス大会の出場者たちにも共通した特質といえる。日本の場合も実業団のボディビル健康美コンテストを経て、八三年に純然たるボディビル大会としての第一回女子日本選手権(ミス日本)が競われ、九五年からは新たに「オールジャパン・ミスフィットネス選手権」が開始された。これも意味合いの曖昧さでは、アメリカのフィットネスコンテストとよく似ている。JBBFのボディビル女子部門とフィットネス部門の責任者・中尾尚志は、健康美からボディビル、再びフィットネスへというシフトを、アメリカのボディビルシーンの流れを受けたものだと説明する。アメリカの女子ボディビルは薬物を触媒に男性化を目指したが、日本の場合は極端な減量を主軸に筋肉を誇示しようとした。

どちらも女性とは対極にある男性の筋肉を理想として。日米で内実は異なるものの、女子ボディビルの行き過ぎは大きな懸念となった。「身体は極限まで鍛えるが脂肪は落とし切らないー女子ボディビルの行き過ぎを踏まえた身体美を求めているのがフィットネスコンテストです。ただ日本は世界の流れに乗り切っていないようですね。まだまだボディビルのほうが出場者が多いですから」JBBFの大会は、ボディビルでの規定ポージングに相当するァシェイプアップ、と、同じくフリーポージングに当たるァパフォーマンス、の2ラウンドで審査される。ボディビルと違ってウエアは基本的に自由だが、シェイプアップ審査ではほとんどの選手がツーピースのビキニで現れる。また、パフォーマンス審査においては小道具の使用が認められていて、九八年に開催された第三回オールジ ャパン・ミスフィットネス選手権では、椅子を使ったパフォーマンスをした選手が、二位に入ってい た。

審査員にもボディビル界だけでなく、体操やエアロビクス、シンクロナイズドスイミングなど多彩 な分野から人材を招いている。もっとも、それぞれの分野の視点が違い過ぎて票が割れることも再々 らしい。ここにも女性美を審査する難しさがある。 出場選手としても調整の具合は難しいようだ。ある選手は

「ボディビル大会から転向したけど、ど こまで筋肉を見せればいいのかわからない。パフォーマンスもエアロビクス出身者が有利」と語って いた。

「フィットネスではボディビルとは違ってマッスルが最優先されるわけではありません。しかし、せめて腹筋の形が浮き出るくらいにはしておいてほしい」 と中尾は言う。さらに彼は「理想としてはボディビルで基礎的な筋肉を鍛え、並行して自分らしさ を発揮するパフォーマンス能力を身につけてほしい」と付け加えた。彼は、パフォーマンスとは筋肉 の持つ持久力と瞬発力がアピールできるもの、という考えを持っている。今はエアロビクス的な手法 を取る選手が多いが、日舞でもストリートダンスでもかまわない。

「ボディビルでもフィットネスでも、女子の場合には女性らしさ、がキーポイントになります。私 はそれをエレガントさだと解釈しています。そしてエレガントさはステージで現れるものです。レセ プションパーティーなどでボディビルやフィットネスの優勝者たちと語り合うと、知性や教養、トレ ーニングに対する真面目な取り組みなどが伝わってきますからね。やはりそういったものは、ステー ジの上にも現れるものなんです。

彼女たちを選んだ審査員の目は間違っていないと思いますよ」 JBBFとは別の国内ボディビル団体、日本フィジーク委員会(JPC)では女子ボディビル大会 を開催せず、フィットネス一本に絞っている。それはJPCの会長で、かつてミスター日本やNBB Aミスターユニバース、IFBBミスターインターナショナルなど国内外の主要タイトルを総なめに した、杉田茂の意向によるものだ。彼は、競技としてのボディビルが肉体の巨大さを追い求めるあまり、極端な方向へ走るのもやむを得ないとしながらも、「女性が筋量を競う今の女子ボディビル大会 は間違っている。

とても女性が理想にするような身体ではない」と断言する。 九八年のJPC・MSフィットネスではボディビルダー的に脂肪をそぎ、筋肉を発達させた選手が 敗れて二位になった。一位となった選手のシェイプの特徴は、二位とは対照的に柔らかで、特に下半 身には丸みがあった。彼女たちは揃ってアメリカで開催された「フィットネスアメリカ」という大会 に出場したが、果たして日本での優勝者は120人の参加者中で七位に入賞したものの、二位のマッ シブな選手は予選落ちしてしまった。

JPCの審査員で、かって本人も八四年に二代目ボディビルミス日本に輝いた北源磨佐美はこう説 明する。 「フィットネスでも筋肉をつける必要はあります。どうしてかというと、筋肉がなければ身体の丸み は出ないからです。脂肪で筋肉が覆い尽くされてしまってはいけません。しかし、減量しすぎてふく よかさを失ってしまうとマイナスです。特にお尻の肉を絞ってしまうと、身体全体の印象もハードに なってしまうので気をつけなければいけません」 北沢は、ボディビル式の立ち方やポージングではフィットネスコンテストで絶対に高得点を稼げな いと言う。

フィットネスコンテストでは全身に力を漲(みなぎ)らせる必要はなく、なるべく力を抜いて優しさ を表現しなければいけないからだ。特にバックに回ったポーズでボディビル式のスタイルをとると、 尻を構成する大殿筋が強調されてヒップアップはするが、腰部の固有背筋も強調されて、身体から丸 みが失われてしまう。 かつては北沢もまた、女性らしさとは対極にある肉体を目指していた。

ミス日本のタイトルを取っ た後は、世界を目標にトレーニングに熱中している。だが当時コーチをしていた杉田から、もうこれ 以上トレーニングはするなと忠告された。 「これ以上筋肉をつけると女性らしさを失ってしまう。一生をボディビルに捧げるのならともかく、 もういちど女であることを見直せ。杉田さんはそうおっしゃいました。その時、私はハッと気がつい たんです」 いらだち 西シ希は、ボディビルを実践することで初めて女性らしさ、を意識するようになった。

彼女は現在、東京・練馬区立健康増進センターで、生活習慣病予防の指導をしている公務員だ。面 と向かうと意外なほど細く、ステージで見せる勇姿とイメージが重ならない。小さな顔が一層長身を 際立たせている。化粧気はなく、長く伸ばした髪を無造作に結わえていた。

「私、口が小さいのでルージュをつけると七五三みたいになっちゃうんですよ。もちろん、お化粧道 具は一通り持っていますが、あまりお化粧する気にならないんです」 と飾らない笑顔を見せる。メイクはしてなくとも、彼女の明るさと健康的な雰囲気は、人間として もちろん、女性としても充分に魅力を感じさせる。

「私にとってボディビルは女性らしさ、女性美を求めるものなんです。私はボディビルを通じて生ま れて初めて、女であることに喜びを感じています」 九一年に高橋明美が三十五歳でボディビルミス日本のタイトルを獲得した後、その座は九二年には まつもととし*おおがきじゅんこ 当時三十歳だった松本俊子、九三シ九歳の大垣純子らがにした。大垣は八六、八九年にも王 座に就いている。九四年からは、水間訳子が女子選手では未曾有の五連覇を飾る。彼女が王座に就い たのは二十九歳だった。

女王・水間を追撃する一番手として、大きな期待を寄せられていたのが西本朱希だ。西本は九七年 に三十歳でコンテストデビューし、初出場となったミス日本で三位、九八年九月にはミス東京の冠を 戴き、十月のミス日本は僅差の二位、ミスアジア・へビー級では堂々と優勝を勝ち取っている。

水間 が一五六センチ、五二キロなのに対して、西本の特色は身長一六九センチ、六○キロという大型の体 格と、男性にも類を見ない逆三角形のフレームだ。 ボディビルと身長の関係は非常に微妙で、一概に背の高いことが有利とはいえない。ボディビルダ ーは、過剰なまでの筋肉を身につける必要がある。当然、上背が高いと要求される筋量も大きくなる。 だが彼女は、その身長にふさわしい雄大な筋量を持っている。ミス日本の会場前列には、各地のボデ ィビル連盟役員が席を並べるが、彼女が登場した時に関係者たちは口々に称賛の言葉を漏らしたものだ

「大きい・・・あの上半身は男子選手並みだな」

「もう少し大腿が横に張り出すようになったら、世界相手にライトへビーかへビー級で戦えるように なる」 「やっと日本にもこんなスケールの大きな女子選手が現れたか」 しかも西本の筋肉は、男子のようにゴツゴツとした質感でなく、柔らかさと優美さを兼ね備えてい るところに特徴がある。 西本朱希は小さな頃から、心の片隅に女性であることのコンプレックスがあった。 彼女は六七年に千葉で生まれ、すぐに埼玉県和光市に移った。朱希は長身で活発な女の子に成長す る。

がっちりというより細さの印象が強いタイプだ。徒競走だけでなく、ハイジャンプや幅跳びに関 してはいつもクラスで上位だった。 「髪は肩まで伸ばしていましたが、いつも男の子に間違われていました。でも、私もそれが嫌ではな ったんです。学芸会でも女の子の役を貰ったことがなかった。小学三年生でァごんぎつね、をやっ た時にはおじいさんの役が回ってきましたね。

スカートをはいた思い出も、私の中ではほとんどない す」 朱希の最初の疑問は、どうして自分が男の子にスポーツで負けてしまうのかということだった。基 本的な運動能力は互角なのに、球技になるとまるで歯が立たない。彼女にとって最初のコンプレック スは、自分は男子のように運動ができていいはずなのに、というものだった。 都内の私立大妻中学に入学した彼女はバスケットボール部に入る。バスケット選手だった父に、背 が高いということで、半ば強制的に入部させられた。しかし、彼女は中学に入っても球技が苦手のま まだった。

部は中学二年で辞めた。ひとつは両親が離婚して朱希が母方に身を寄せたこと、もうひと つは団体行動にどうしても馴染めなかったことだ。 「群れるというのが生理的にダメなんです。女子中や女子高生って、トイレにも一緒に行くほどグル ープ行動が好きなんですが、私は違った。ひとりでいるのは全然平気でした。でも、クラスでは浮い ているという感じでもなかったですよ。

お昼休みになると、今日はどのグループと一緒にお弁当を食 べようかなって、選べる楽しみがありました」 バスケット部を退部した後はモダンダンスに興味を示している。 十四歳だった彼女の心には、漢然と身体を使って表現したいという気持ちがあった。 「クラシックバレエは空間美術だけど、モダンダンスは肉体表現だと思うんです。美術は美しさを追 求しますが、ダンスは美だけでなく醜さも表現するところがいいなと:それに、バレエは先生との 距離が密接じゃないですか。

師弟関係みたいになるでしょ。私、そういうのも苦手なんです。教えら れ下手とでもいうんでしょうか、教えてもらうより、自分で四苦八苦しながら掴んでみたいほうだか ら」 現在、朱希の五歳上の兄は空間芸術を手掛けるアーティストに、一歳違いの姉も器楽演奏者になっ ている。そんな家庭環境が彼女を芸術的な嗜好に走らせたとも考えられるが、本人は笑って否定した。 モダンダンスは、電話帳で見つけたダンス研究所に通ういっぼうで、学校でもダンス部に入った。

高校三年の時には部長もつとめている。ボディビルダーとしての朱希の特質に、フリーポージングの 上手さが挙げられているが、その基礎はこの時期に酒養されたものだろう。 ダンス部では彼女の振り付けでいくつもの創作ダンスが作られ、発表された。 「最初に作ったのがおせんべいの旅立ち、って題のダンスでした。人がおせんべいを食べて、それ が消化され最後にウンチになって排出されるまでを舞踊で表現したんです。私は今もそうですが、自 然が作り出すものの中に美があると考えています。私にとっては人間というのも、自然物の中のひとっです。

人間くさいものや行為の中に、気づかれていない美が潜んでいると思います。そういう意味 では、ボディビルも私にとって人間くさいものなんです」 ダンスだけでなく、絵を描いたり粘土をこねたりするのも好きだった。朱希が日本女子体育大学に 進学すると知った友人の多くは、美大の間違いじゃないかと思ったそうだし、彼女のことをよく知っ ている人は、体育大学へ行くのは舞踏を続けるためだと考えた。

ところが朱希は、体育学科に入り人類・解剖学というコースを選択する。教師という選択だけでな く、より広い視野からスポーツを見つめたかったからだ。ダンスに関しては、いかにも彼女らしい理 由で絶望していた。二度ほど大きな舞台に立ったものの、やはり自由には踊らせてもらえない。先生 の指導が煩わしい。

自分のやりたいことを抑えて、先生の言う通りに踊るなど、彼女には不可能なこ とだった。ダンスに熱中している間も、彼女は女性的なものには背を向けている。自分が踊ったり、 作ったダンスは、どれも女らしさなど微塵も感じさせないものだった、という。女であることを拒否 する心は、たとえばブラジャーを着けないとか、立ち居振る舞いを男性っぽく見せるという行動にも 現れていた。

「でもレズビアンだったとか、性転換したいなんてことはありませんでした。ジェンダーっていうん ですか、男女の性差の中で、強さや遅しさは男性に求められているものじゃないですか。女性の資質 というのは、そういうのとまったく逆の世界でしょ。私にはそれが不満だった。私の中では、男女と も能力はまったく同じであるべきものだったんです。社会制度や慣習に対して怒りを抱くというのじ ゃなくて、自分という人間が、どうして強さを身につけていないのかが、不満で仕方なかった。

だから、せめて外見だけでも女を否定したかったんだと思います」 そんな彼女が巡り合ったのが武道の世界だった。日本女子体育大学に入ってから、朱希は、アルバ イトで練馬区の運動施設指導員を始めた。これが彼女と空手を結ぶきっかけとなる。通ってくるメン バーに格闘技マニアが数人いて、空手のビデオを持ち込んだ。それまで朱希は、女子プロレスに代表 される女性の格闘技にいい印象を抱いていない。彼女にとって力、は男性の領域に属していた。男 性が力をふるうのはかっこいいけれど、女性が男性の真似をして力で挑んでいくのは、どこか見苦し く無理がある。朱希の心には、男性の持つ力強さに憧れ、そこに近づきたいという気持ちと、女性が 男性のように力を誇示するのは無理かもしれないという諦めが同居していた。

ビデオに映し出されていたのは、当時、極真会館芦原道場にいた二宮城光(にのみやじょうこう)という空手選手だ。彼は 世界大会で三位に入ったほどの実力者だが、直線的に攻撃するのでなく、相手の技を華麗にさばきな がら勝機をうかがうというスタイルだった。二宮の戦い方を見て、彼女は美しいと思った。この、優 美さを軸にした力強さなら、女性でも可能かもしれないと感じた。一度道場へ見学に行こうかーこ う誘われた朱希は道場へ足を運び、その場で入門を決心する。

女性の弟子は、実質的に彼女ひとりと言っていい。学校が終わると、すぐに道場へ駆けつけサンド バッグを叩いて稽古を重ねる。スパーリングの相手はもちろん男性だ。女だからといって絶対に手加 減しないでほしい。彼女は心からそう願った。 「髪形は耳が出るショートカット。これって、体育大学に通う女子の定番へアスタイルなんです。も ちろん、お化粧なんてしていませんでした。道場に入って半年くらいしてからかな、先輩からッこん なに暑いのに、どうしていつも道着の下にTシャツを着込んでいるんだ、っていわれたことがありま す。てっきり、私を男だと思っていたようですね」 男に間違われることは、むしろ彼女にとって望むところだった。

夜は運動施設で指導員のバイトが待っているが、少しでも利用客が途切れると、館内の器具を使っ て補助運動としてのウエイトトレーニングにいそしんだ。男性と対等に戦える身体をつくり上げなけ れば、という想いは切実だった。夢の中にも、相手があの攻撃をしてきたら、こうして返そうという シーンが何度も出てくる。 「空手時代は、男っぽい身体を求めていました。胸の出っ張りなんか、すごく邪魔だった。対戦する 相手に、私が女性であることを意識されるのがたまらなくいやだったんです。

この気持ちは、小学生 の頃にリボンをつけたりスカートをはくのが嫌いだったのと同じだと思います。女の子は男の子より 弱くて可愛らしいものだという考えが、すごく腹立たしかった」 入門して一年半で二級になり茶色の帯を巻いた。その後、半年ほどで初段に昇進している。二級か ら飛び級で黒帯になるのは、芦原会館では異例の出来事だった。朱希の心には、大学卒業後は会館の 職員になり、ずっと空手を続けるという図ができつつあった。一生を空手に捧げようーところが、 その夢が少しずつ壊れ始める。芦原会館はトーナメントなどの大会を開催する代わりに、年末に道場 内で試合をしていた。この試合に出られるというのは、それだけで栄誉だし、実力を認めてもらった ことになる。だが、彼女は茶帯になっても、初段になった時も試合に出してもらえなかった・・・やっ ばり私は女として見られている、と朱希は傷ついた。

女子部を作るから、そこで技を磨けばいいという話もあった。だが朱希にとっては、男性と缶して 戦うことにこそ意義がある。やがて、毎日道場に顔を出していたのが週二、三回に減っていった。 「でも空手の魅力に厩きたということはありませんでした。ちょうど大学を出て練馬区の職員になっ たし、そんな事情も重なって稽古の回数が減っていったんです」

女らしさ

九一年夏、二十四歳の朱希は練習中に右膝を傷めてしまう。男性とスパーリング中、左のハイキッ クを決めにいったところを押さえられ、逆に軸足の膝へローキックを見舞われた。膝からパチンとい う乾いた音がして、朱希はそのまま倒れ込む。病院では膝に内視鏡を入れて検査されたが、靭帯の損 傷しか発見できなかった。 普通に歩くのは問題ない。だが膝を過伸展、つまり無理に伸ばそうとしたり、ここに重心をかけて 運動をすると激しい痛みが襲う。藤に負担をかけずに空手をする工夫をしたが、気が膝に回ってしま うと、どうしても攻撃、防御とも聴がになる。やがて症状は好転するどころか、痛みでキックを放っ ことができなくなってしまった。 空手の稽古からは遠ざかったにもかかわらず、ウエイトトレーニングを続けていたのは、いつかは 膝を完治させて空手に復帰しようという気持ちがあったからだ。 この時期のトレーニングが彼女とボディビルを結ぶ大きな接点となる。 大学時代、朱希の選んだゼミは解剖学研究だった。運動生理学も大好きな学科だ。さらに身体と向き合う職務を通じて、朱希は肉体に対する認識を深めていった。

空手に熱中していた頃、彼女が働いていた練馬区の健康増進センターのトレーニングルームに、柔道の田辺陽子がよく来ていた。

田辺はソウル五輪の金メダリストだ。朱希がずっと憧れていたのは、田辺のような身体だった。朱希は田辺の身体を「太い骨格、ゴツゴツとした筋肉、厚い背中」と表現する。「それでも私の身体は、田辺さんに比べて骨や関節が細いから、あんな圧倒的な迫力が出せない。それが私には残念で仕方なかった。極端なことをいえば、男性が見てゲーッと後ずさりするような肉体が欲しかったんです」

ボディビルの世界を垣間見る機会は偶然に訪れる。彼女が通っていたスポーツクラブのクリスマスイベントで、ボディビルのポージングをしないかという話が持ち上がったのだった。朱希は面白そうだなと思った。

まったくボディビルに興味はないけれど、ただ筋肉を誇示すればいいのだと考えた。アトラクションでは男女ふたりのポージングが予定されていた。男性はシだ。北村は、現在マッスル北村の芸名でタレント活動をしている。筋肉の厚み、大きさとも日本人離れしたスケールで大いに嘱望されたビルダーだ。

八五年にミスターアジア、ミスター東京に輝くなどいくつものタイトルを獲得したが、後にドーピング検査で陽性となりー本人は薬物使用を頑強に否定しているーjBBFを去った。九九年にはWABBAというフランスに本部がある団体が主催するアジア・パシフィックコンテストで総合優勝している。

東京大学に入学したものの、肉体のあり方を学ぶために中退し、東京医科歯科大学へ進んだという経歴の持ち主でもある。北村さんにはポージングの方法などを教えていただいたんです。北村さんの身体を見て、気持ち悪いとか驚くというより、人間の筋肉も鍛えるとここまでになるんだなって感動しました。

当時、私は 七○キロくらいあったんですが、それではダメだといわれて減量を始めましたし、日焼けサロンに通っています。ボディビルというのは、ただ力んで筋肉を見せればいいと思っていたけど、なかなか奥の深いものだということを知りました」アトラクションは大成功だった。久しぶりに喝采を受けた満足感とは別に、朱希の心には筋肉という新たなテーマが生まれた。

「肉体を鍛えて、それを人に見せることで自己表現できる世界もあるんだなって、ちょっとびっくりしました。それにウエイトトレーニングのおかげで、体重を絞ってもかなりの量の筋肉が残っていました。周囲がおだててくれたので、ついその気になってしまった」知人から見せてもらったミズオリンピアのビデオも大きな衝撃だった。ミズオリンピアのタイトルは、世界最大規模のボディビル団体1FBBが主催する女子プロビルダーの最高峰だ(アマチュアでもユニバースで優勝すれば出場できる)。「ミズオリンピアのビデオは、何だこの男たち、っていう感じでしたね。最初にあれを見せられたから、私の頭の中には女子のボディビルも、男性並みの大きな筋肉を身につけなければいけないという固定観念が植え付けられてしまったんです」

男と同じ基準で競われる競技が、ここにあるみ翌年、彼女は東京クラス別大会、ミス東京といったコンテストを観る。だが、その場で競われている女子の肉体は、朱希の考えているボディビルとは違うものだった。ステージに登場してくる選手は、おしなべて小柄でガリガリになるまで疫せている。それは男性の強くて大きな筋肉には程遠い。筋肉を見せるのではなくて、減量の成果を競い合っているのと同じだーー この程度でボディビルダーを名乗っているなんて。

柔道や空手など他のスポーツの女性選手たちのほうが、よっばど大きな筋肉を纏っている。彼女の女子ボディビルに対する思惑は大きく外れてしまった。出場する選手の多くがエアロビクスのインストラクターだったり、その出身者と聞いて朱希は納得すると同時に軽い失望を感じた。「女性がウエイトトレーニングをするって、まだまだ環境が整っていないですからね。だけどエアロのインストラクターなら、比較的ウエイトトレーニングに親しみやすい。ただ、女性のボディビルって、インストラクターの片手間でもできるのかと思うと、ちょっと残念だったんです。

空手のときもそうでしたが、やっばりボディビルも全身全霊を込めて一心不乱に取り組むべきものだと思っていましたから」もっとも、この小さな筋肉、相手なら勝てるという気持ちも動く。脂肪を削ることに腐心している選手たちの中に、あくまでも男性的なマッスルを目指す自分が交じったら、きっとおもしろいだろうな:朱希は次の年のコンテストに出る決心をした。九四年からボディビルコンテストに照準を絞ってトレーニングを重ねた彼女は、九五年九月のミス東京をデビューの場に選ぶ。トレーニングスケジュールは、二日やって一日の休みを置く方法をとった。トレーニングはすべて自己流でこなす。学生時代の知識を生かして栄養にも気を配った。

サプリメントはプロテインパウダーを含め一切とらない。三度の食事と間食におにぎりを一つか二つというパターンで、すべて自炊した。一回の食事に肉を150グラムは食べた。初出場初優勝を彼女は誓い、周囲もその実現性が高いことを保証してくれた。当時、彼女が通っていたフィットネスクラブのインストラクターはこう証言する。 「西本さんは、いつもジーンズ姿でキャップを目深にかぶっていらっしゃってました。おまけにあの身体でしょ。フロントで男性ロッカーの鍵をお渡ししてしまったことがあるんです」トレーニングは唆烈だった。

「実は田辺陽子さんもウチに来ていらっしゃいましてね。西本さんと田辺さんのトレーニングしている様子は、鬼気迫るとでもいうんでしょうか、ちょっと怖くて近くには寄れませんでした」

朱希自身も苦笑交じりで語る。

「トレーニングはひとりで行います。男性のパートナー志願者も多いのですが、男性のおかげで私の筋肉をつくったといわれるのが癖なので、お断りしました。トレーニング中は、キレてますからね。話しかけられても返事もしないし、きっとイヤな女だと思われているでしょう」彼女は、ボディビルダーが備えるべき重要な要素として、心理的な限界と肉体的な限界が高い次元で重なり合っていることを挙げてくれた。普通は気持ちの方が、肉体の限界が来る前にプレーキをかける。しかしそれでは、肉体を極限まで鍛えられない。もちろん肉体の限界を超えてしまうと、怪我をする可能性が高い。だがそれで満足していては、成長もそこでストップしてしまう。

朱希はどれだけ重いバーベルを扱う時でも、絶対に挙げてみせる、と暗示にかける。苦しくなってから、もう三回 ??????それを毎回のトレーニングで実行できるか否かが勝者と敗者の境目だ。初めてのコンテスト出場となると、いちばん気になるのは減量の程度といえる。クラス別の試合なら指針となる体重はハッキリとしているが、ミス東京はオーバーオール(無階級)だけに彼女も悩んだ。周囲は口を揃えて、早めに絞っておいたほうがいいとアドバイスしてくれる。朱希もその気になって、十二月ごろから早々と減量に入った。ところが年が明けて三月末くらいには、七○キロ以上あ った体重が六○キロまで落ちてしまった。これ以上獲せると、彼女が最も嫌う脂肪ゼロの身体に近くなってしまう。このままの状態を九月まで維持できるかどうか、不安でたまらない。

その頃、人間関係のストレスと減量のストレスが重なった彼女は、痛烈に空手がやりたくなった。久しぶりに道場へ顔を出して稽古で汗を流す快感は、朱希の心を夷快にしてくれた。何より、身体がスムーズに動いてくれる。この調子なら、膝を怪我する前には得意技だった後ろ回し蹴りもできるかもしれない。そう思った次の瞬間、彼女の身体は空を切っていた。ところが着地した途端に、右膝が抜けたようになってその場にうずくまってしまった。すぐに病院にかつぎ込まれたが、すでに半月板が割れていた。三週間の車椅子生活を余儀なくされる重症だった。それでも、ここまで調整したのだから、立てるようになったらコンテストには出ようと彼女は考えた。

病室でも砂嚢を紙袋に詰めてダンべル代わりにトレーニングしたこともある。だが、ギプスに包まれた右足はみるみる細くなり、退院時には左右で一一センチも太さが違っていた。 「空手も諦め、あの年の春にはトレーニングのために恋人とも別れてボディビルに適進してきたのに。 もうダメ:すべてが終わってしまったと思いました」 退院しても、立つだけで膝が激しく痛む。リハビリテーションも思うように進まない。自室で、右足を使って三キロのダンベルを上下させていた時、またパキンという音がした。縫合手術した半月板が読ェ着していなかっただけでなく、十字靭帯も傷ついていた。 膝蓋健から鍵を取り出し、十字靭帯に移植する二度目の手術が終わった後、彼女は半年近くも片足を引きずることになる。朱希の右足は今でも二センチほど左より細いし、膝には痛々しい傷跡が残っている。 「・・・悔しかったですね。怪我もそうだし、コンテストを断念したことも。

だけど、いちばん悔しかったのは、これで完全に空手を諦めなければいけないということだったと思います。だからこそ、再 びボディビルに打ち込む決心がつきました」九五年はリハビリに専念し、九六年から本格的なボディビルのトレーニングに復帰した。だが、かつての重量を扱うまでにはかなりの日数が必要だった。「手術で脚の筋肉の位置が変わったということはないと思うんですが、とにかく発達の度合いが変化してきました。以前は大腿四頭筋と呼ばれる大腿前部の筋肉が発達していたんですけど、手術後はトレーニングしても膨らまなくなってしまいました。

足のトレーニングの王様と呼ばれるスクワットも、本能的に膝をかばってしまうので、効果が出ないんです」しかし、昔は足のトレーニングの効果があがりすぎて、筋肉の発達という観点からすると全体のバランスを崩していたのだが、怪我の後はかえってプロポーションがよくなった。同時に傷を癒す期間に、ボディビルについていろいろと考えることもできた。「空手では男性の強さと戦うのですから女性の持つ弱さは邪魔でした。だけどボディービルでは女性と戦うわけですし、これまでと違った環境を自覚しました」まっさきに気になったのが女らしさ、ということだった。

朱希にとってそれは、小学校時代から彼女に投げつけられてきた飛礫(つぶて)だ。社会人になってからも、健康増進センターの所長から、もう少し女らしくしたらどうだ、と冗談交じりでいわれたものだ。人間は外見から変わっていくものだよ、と所長は言ったーーもっとも、その時は笑って所長の言葉を受け流していたのだが。「恋人と別れた理由のひとつにも、根本には私がこだわる女性らしさの問題があったと思います。私 は彼から女性としてだけでなく、人間として愛されたかった。

女性としての側面だけで私をとらえられていたのが悲しかったんです」心の中に煙る空手や恋人への想いと完全に決別するためにも、思い切ってそれまでの自分の考えや生き方を変える必要がある。ボディビルは、上下の水着を身につけただけの生身の自分で勝負を挑んでいく。

心の迷いは必ず肉体に出てくるはずだ。巨大な筋肉とぎりぎりまで絞った身体だけでなく、女性として、人間としての内面がそこにあらわれる。「女子のボディビルで求められるのは、女らしさだと思うようになりました。女である以上それを否定してはいけない。私は女らしい、の反対語は男性っぽい、だと勘違いしていました。

だけどポディビルでは、わざわざ弱さの象徴としての女性を強調する必要はないし、男性にはない女性の肉体をアピールしようと思いました」九七年のミス東京にエントリーするにあたって、彼女は髪を伸ばしてみた。皮肉でも何でもなく、外見を女らしくすると、内面もそうなっていくような気がしたからだ。所長の言葉も、あながち無視はできないと思った。「男性だけじゃなくて、女性だって、マリリン・モンローみたいなセックスアピールにも女性らしさを感じるわけでしょ。

だけど私はそれだけでなく、私らしさを加えたかった。ボディビルで求められる女らしさは、身体を鍛えてつくっている女性だけが持つ、新しい形の女らしさのはずなんです」 五○年代は金髪で肉感的なマリリン・モンロー、六○年代が華奮なツイッギー、七○年代になって西海岸の健康さを体現したファラ・フォーセット。

そして八○年代が生んだのは、筋肉に包まれたリ サ・ライオンリサが登場したとき、日本のマスコミはこんな論調で書き立てた。彼女が来日したのは八四年の春だった。その年の西武百貨店のイメージキャラクターもつとめている。西武の広告キャッチコピーは「カラダはココロ。ココロはカラダ」で、制作は糸井重里だ。

リサの存在が大きくクローズアップされたのは、七九年に開催された「第一回世界女子ボディビル選手権優勝者」という肩書だけではないーリサが優勝した第一回世界女性ボディビル選手権は、少なくとも女子プロビルダーナンバー1を決めるミズオリンピアや、アマチュアナンバー1を競うIFBB系のアマチュア世界選手権(ユニバース)などとは違う大会のようだ。ただ、リサは並のボディビルダーではない。鍛えられた肉体をキャンバスとする芸術家の側面や、肉体と知性の合致という(世間一般にとっての)意外性を兼ね備えていた。来日した時の彼女の肩書はパフォーマンス・アーティスト、だ。写真家のロバート・メイプルソープ、ファッションデザイナーの三宅一生、アーティストの横尾忠則らがリサを素材に選び、「タイム」誌は「肉体と心をフュージョンさせる新たな世代」と絶賛した。

リサは五三年にロサンゼルスで生まれ、七五年にUCLAを首席で卒業した(「トップクラスで卒業」と書く媒体もある)。大学では文化人類学や芸術などを学んだ。その後は大学院に進み、さらに政治社会学、批評学、映画学を修めている。早くから数々のスポーツに親しみ、大学時代に剣道を志したことがボディビルを始める端緒となった。 「剣道では、女性としての自分の限界を突破することが要求されました。私はここで、自分が現在持っている力量で満足してはいけないこと、より以上の、ほかのものになれる可能性があることを知り、 心と体の融合を体験したのです」(「MORE」八四年四月号のインタビュー)こうしてボディビルで身体を鍛えた彼女は、身長一六一センチ、体重四八キロ、バスト九四センチ、ウェスト五六センチ、ヒップ八一センチという肉体を手に入れる。リサは身体表現の場をボディビルコンテストだけでなく、より広範な分野に求めた。

衣服を脱ぎ捨て肉体を晒すことで、彼女はアートしようと企てた。再び「MORE」での発言を紹介しよう。「身体そのものが審美的です。自分の体に、完全な美が具現化する。パフォーマンスとはそういう瞬間です。その時、自分が自分であることに、真の喜びを見出す。世界を目の前にして素っ裸になっても、全然かまわない」

その言葉の通り、彼女は東京のラフォーレ原宿で「リサ・ライオンが裸でアートする10日間」というパフォーマンスを展開した。「ボディビルは、美しくたくましくありたいということの表現。女らしさを放棄する必要は全くありません」(同誌)写真に収められたリサの肉体は、柔らかさよりも硬質なボディラインを持ち、上腕部分や大腿部、腹部には明らかな鍛練の形跡が残る。当時としては、女性の常識を越えたハードマッスルだったことが理解できる。だがその一方で、乳房は豊満だし、ヒップのラインは艦惑的でもある。あるいは全身を覆う薄い脂肪の層が、そういった情感を醸しているのか。

とにかく、九○年代に世界タイトルを懸けて戦っている男性化した筋肉の女性ビルダーたちに比べれば、あまりに女性的だといえる。それでもリサ・ライオンが筋肉美を武器に登場した八○年代初頭、女性と筋肉の是非をめぐって称賛と異を唱える声が半ばした。 リサの身体に象徴される女性の身体美や筋肉美論争に関して、日本の女子ビルダー上野結花(うえのゆか)からユニークな意見を聞いた。

彼女は女子美術大学でデザインを学び、九五年のミス日本で二位、九六年は三位だった。九六年にはアジア選手権で優勝し、九八年から一年の予定でアメリカに留学している。「かつて女性は社会的に限られた分野でしか活動できなかったでしょ。だけど今は、ようやく性差の壁が取り払われようとしています。

社会の動きにあわせて、女性にも、もっというと女性の身体にも、これまでになかった新しい価値が認められていいと思います」結花は美大出身者らしく女子ボディビルダーの身体をたとえてくれた。「運動をしていない女性のシェイプはクレパスで描いたような漢然としたライン、逆に鍛えられた女性は、硬質の鉛筆で描いたようにくっきりとしたボディラインが生まれるんです」女性ビルダーたちが女性らしさを否定しているわけではない。だが、コンテストでは女性らしい魅力よりも、現出する筋肉の存在価値の方が重い。結花は続ける。

「コンテスト当日の身体は、一日限りの晴れ姿と考えてほしいんです。あのシェイプを一週間はおろか、三日間保つのさえ至難の業なんですから。でも、苛酷なダイエットを経てつくりあげた筋肉の上に、ほどよく脂肪が乗った状態を想像してください。きっと、世の男性たち、いいえ女性たちが思い描く理想に近いスタイルが現れるはずですよ。

コンテストはパーティーと同じです。誰だって、パーティーの日には、日頃は着ないようなドレスに身を包み、へアスタイルやアクセサリーにも気を配るでしょ。私たちも、その日のために、身体を鍛え、とっておきの筋肉を身につけるんです」リサが評価されるべきなのは、肉体と精神、さらには女性というファクターを、身体だけでなくパフォーマンスや言葉で表現したことだ。彼女は雑誌「ef」のインタビューでこう語っている。

「体をつくっているうちに、自分の体を自分が支配できることを知ったの。肉体的な強さと、それを維持する精神力という新たな美、も発見できた。もし私を見て美しい、と思ってくれる人がいたら、それは限界とか恐怖心に挑戦し、克服した私の姿を見てくれたからだと思う。美しさとは個性。美しいというイメージに自分を近づけるのではなく、自分自身を見出すことが最も美しい」

女性ボディービルダーの頂点

九七年度ミス東京のステージに西本朱希が現れた時、そのアウトラインとスケールの大きさが会場を圧倒した。背の高い選手にありがちな、筋量の不足はまったく見当たらない。胸の稜線から祀く広背筋は細い腰へ向かって見事なVシェイプを形づくっている。バックに回った際の僧帽筋と三角筋後部から広背筋、大円筋、固有背筋へと続く筋肉群の充実度は、歴代女子選手の中でも有数だろう。場内にはどよめきとともに、今まで彼女のような選手がどこに隠れていたのか、という話題で持ちきりになった。近年潤落気味の女子ボディビル界に救世主が現れたという声さえあがったほどだ。

肩まで伸ばした髪をリボンで結わえた彼女は、コンテスト初登場とは思えぬ落ち着きを見せている。意識して体重を絞り切らなかった分、厳しいダイエットで試合に臨んだ他の選手との差異が際立つ。朱希のバルクは間違いなくナンバー1だ。すべての脂肪をカットした身体か、それとも余裕を残したものの文句のない筋量か。審査する側としては、まったく価値観の違う身体を突き付けられたことになる。

この大会で彼女は三位だった。

順位のポイントを、あるJBBF関係者が説明してくれた。「筋肉やフレームの大きさだけなら間違いなく西本選手の優勝です。だけど比較審査でのポーズの見せ方や、ひとつひとつの筋肉のアピール度では上位二人には劣っていましたね。特に腹筋の出し方のコツを西本選手はつかんでないようだった。無理に絞る必要はないけど、もう少し、筋肉を見せるテクニックの勉強が必要でしょう」審査は大会当日ステージに並んだ選手間の比較で行われるのが建前だが、キャリアの差が微妙な記加減を生む。

コンテスト経験が重なれば審査員の記憶にも残るし、その分、年度ごとや大会ごとの進歩をアピールできる。まったくの新人はその点で不利といえば不利だ。

「審査結果に関して文句や不満のない選手はいないでしょう。だけど仔細に検討してみると、優勝者には下位の選手に勝った、それなりの理由がいくつもあるものなんです」朱希のミス東京での順位は、初出場ということに加え、ミス日本入賞者クラスの実力者が並ぶという高水準の内容を考えれば充分に評価できる成績だ。だが、彼女はまったく別の意味で審査結果とコンテストに失望していた。

「最初に感じたのは、やっばり私は間違った場所に来てしまったという想いでした。決勝に残った他の選手の身体はある程度予想できましたが、減量というのは数か月で可能だけど、筋肉をつくるというのは何年もかかるわけでしょ。私は空手時代を含めて十年近い年月をかけてこの身体をつくったのに:十年の努力の成果は絶対にわかってもらえると思ったのですが。結局は数か月の減量テクニックに優る選手が選ばれたのかと思うと残念でした」もうひとつの理由として、タイトルが欲しかったこともある。そう考えるようになったのは、九六 年に朱希がレギュラー出演したテレビ番組がきっかけだった。

それは、フジテレビが土曜日の午後八時から放映していた「Bang、Bang、Bang」というバラエティ番組だ。このプログラムには、芸能人とグラジュエーターと呼ばれる肉体自慢の男女が、身体を使ったゲームを展開するコーナーがある。西本の同僚の栄養士が、彼女に黙ってグラジュエーター役に応募した。

彼女はオーディションに合格し、八回分の収録をこなした。同じグラジュエーター役には、アームレスリングのチャンピオンなど六人の女性アスリートが選ばれていたが、その中で”王者”、や”日本代表”、といったタイトルや肩書がないのは朱希だけだった。「控室で話をしていると、みんなそれぞれの分野で血のにじむようなトレーニングをしているわけです。もちろん私だってトレーニングに全身全霊を傾けています。彼女たちが美深ましいとか、肩身がいというわけでもないけれど、私にも勲章があるといいなって・・・空手ではタイトルを取れなかったし、それならボディビルで、と」

ミス東京には六二キロで試合に臨んだ朱希は、その年のミス日本では六○キロに仕上げ、ミス東京では上位につけた二人を抑え三位に入ったこの大会の優勝者はミス日本四連覇を果たした水間詠子、二位は同年のミスアジアへビー級王者の「廣田(ひろた)ゆみ」という、日本を代表するべテラン選手だ。「東京大会があんな結果だったので、本当はもうコンテストに出る気がそがれてしまってたんですが、ミス日本に出場してよかったと思います。やっばり細い選手もいたけど、水間さんや廣田さんという大きな筋肉を持った選手と競い、そして負けたことで、自分の現在のポジションがよく理解できましら」ボディビル界にとって大きな収穫と絶賛され、希望を持たれた朱希だったが、本人は淡々とした心 境だった。それどころかコンテスト終了後からしばらくの間、朱希は競技を続けるかどうかすら迷っていた。

大舞台での三位という成績への満足度、シーズンを終えた虚無感など理由を探せばいくらでも見つかる。その中でも大きかったのは、女子ボディビルに対する違和感だった。「日本選手権はともかく、東京大会での、違う場所に来てしまったという感じが心理的に尾を引いていました。私のような考えじゃ勝てないのかなという疑心暗鬼です。私も頑固ですからね。ギリギリまで絞るのなんて絶対にイヤだった。それでも、この年はオフに七五キロあったのを、最終的に六○キロまで落としたんですから。自分としては六八キロくらいの身体がいちばん好きです。

今のトレーニング方法や調整方法を変えてまでコンテストに出場したくない。私にとっての女らしさを表現しても理解してもらえないのなら、もう辞めてしまおうとさえ思いました」無理だと知っていても、空手に対する抑え難い未練もある。膝の怪我で三年出遅れた差が、日本チャンピオン水間との抜き差しならない差になったという鍵屈した気持ちも生まれた。「今でもそうですけど、これからもずっとボディビルを続けていくかどうかはわかりません。でもトレーニングは継続してるでしょうね。

うーん、やっばり身体を鍛えることが好きだから。私にとってトレーニングとコンテストは必ずしもイコールじゃないんです」朱希のボディビルに対する距離感は独特のものだ。距離を置いているとも、密接とも言えない。それは空手における絶妙な間合いのようにも受け取れるし、あえてボディビルの渦中に身を置きたくないという風にも見える。ただ、周囲は黙っていない。

職場で、ジムで、フィットネスクラブで彼女は励まされ期待をかけられた。引くに引けない状況になっていることを朱希は痛感している。 98年の夏、朱希は親しく付き合っていた男性と決別した。彼はボディビルという競技を理解して くれてはいた。だが、ボディビルダーでもウエイトトレーニングの愛好者でもない彼は、自分よりポディビルに重点を置く彼女を次第に許せなくなっていったようだ。

「チャンピオンを目指す者の気持ちを他人が理解するのは難しい・・・いけないとは思っていても、減量とトレーニング、大会へのプレッシャーなどが重なると、どうしても気が高ぶってしまうんです」

何でそこまでピリピリしているんだ、ひと月くらいトレーニングなしで済ませられないのかー彼の言葉の真意はわかっているつもりでも、彼女は勝負を最優先させなければいけない場所にいた。「自分から別れました。それなら、他の女性と付き合えばいいじゃない、という私の言葉がきっかけになりました。それにしても・・・トレーニングが引き金になって恋人と別れるのは、これが二度目なんです。

そこまでトレーニングに熱中する必要があるのかって、自分でも思うこともあるけど、やっばり二鬼は追えないんです」その年の七月に開催された、アジア選手権出場権を懸けた日本クラス別ボディビル選手権のへビー級で朱希は優勝するが、その身体は精彩を欠いていた。

だが二か月後の九月、再びミス東京のステージに姿を現した朱希は、七月の大会はもとより、去年のミス東京よりも数段進歩した身体を披露してくれた。この大会は昨年が五人、今年は七人という深刻な選手不足にもかかわらず、出場者のレベル自体はたいへん高い。そのラインナップの中でも、彼女の存在は一頭地を抜け出ていた。圧勝だった。さらに十月、大阪で開催された日本選手権でも彼女は二位と大健闘した。女王の水間を瀬戸際まで追い込んだ選手は、朱希が初めてといってよい。

その勢いのまま韓国に乗り込んだ彼女は、アジア選手権のへビー級で優勝している。「ミス日本の成績は励みになります。これで具体的な目標ができましたから。絶対に日本一になりた い。私にとっては、またとない目標ができたわけです。それにアジア大会に出て、まったく私を知らない韓国の人たちが、とても大きな歓声を送ってくれたのがうれしかったんです。世界共通語っていうと大裂梁だけど、私の肉体が言葉も習慣も違う国の人を感動させたというのは、すごいことじゃないですか。

ステージに立っていて鳥肌が立ちました。ボディビルって素晴らしいなって、感激してしまいました」 幾度かの取材を通しても、彼女はアジア選手権での体験が得難い収穫だったと強調した。 九九年の日本選手権で朱希はミス日本の座についた。二年前、初めてタイトルを獲得した東京の江戸川総合文化センターのステージで、彼女は念願の日本一、の称号を手に入れた。

優勝が決まった時、はばかることなく涙を流している。これまでの半生、朱希は自分の身体が、女性という条件下に与えられた肉体が嫌いだった。だがボディビルを知って、その想いは徐々に変化してきた。彼女は、今、自分の身体が好きだという。女性であることのコンプレックスが、肉体を鍛えることで解消されてきた。「オリンピアに出場しているようなアメリカの女子ビルダーは、女性としてというよりも、人間としての限界を乗り越えたいんじゃないでしょうか。神に挑戦しているんですよ、きっと。

でも私は、そういう方向でボディビルをやりたくはないんです。女である自分の身体が好きだから、ここをべースにして進歩していきたい。自分と違う自分にはなりたくない」 女性ビルダーの行為と精神は、数々の矛盾と葛藤なしには成立しない。男性ビルダーが、それほど悩むことなく、いわば素直に筋肥大と向き合うことを思うと、両者がボディビルと対時する姿勢には大きな違いがある。仕事との両立や家族への想い、将来への不安など、男性ビルダーも決して平坦な道を歩んでいるわけではない。

だがそれでも、男性ビルダーは女性ビルダーほど内面や性差の問題にまで立ち入ることなくトレーニングを重ねているように思える。 いつまでたっても、女らしさを演出すると照れてしまう。だけど女性らしさがないと、会場に来ている女性たちに、私も身体を鍛えてみたい、西本さんみたいになりたいとは思ってもらえないだろうー朱希はこう考えている。 「コンテストのためだけ、勝つためだけ、自己満足のためだけにボディビルをやりたくはない。

身体 を鍛えている自分を媒体にして、一人でも多くの人たちに感動を与えていきたいんです」 彼女は笑顔を見せた。話した言葉の持つ気負いを感じさせない、裏やかな自然体の笑顔だった。 「目標を持って生きていくって、本当に素晴らしい。西本さんには絶対に世界で活躍して、私以上の成績を残してほしいわ」高橋明美は、生涯スポーツとしてのボディビルや、スポーツ競技の補助運動としてのウエイトトレーニングの経験が一度もない。彼女はボディビルを始めた時からずっと、コンテストビルダーとして鍛練を積んできた。その結果、数々の栄光を得たが生死の境をさまよいもした。

だけどー明美はきっばりとした調子で語った。「でもボディビルをやってよかった。私は自分の意志で、自分の精神力であの身体をつくり上げられ たことを誇りに思います」全盛期の頃、海岸で日光浴をしていると、小学生低学年らしい女の子が明美の身体を見て大声をあげた。「お母さん。見て、見て、あの女の人すごいからだをしているよ!」母親があわてて娘の素っ頓狂な騒ぎぶりをたしなめる。

明美の方を窺う母は、見てはいけないものを観察するような視線を送っていた。「だって・・・お母さん見てごらんよ。あの人、すごい筋肉なんだよ。かっこいい。あの女の人すごくかっこいいんだよ」明美は女の子に微笑みを返した。「うれしかった。あの子にとっては特撮のヒーローみたいな身体に見えたのかもしれないけれど、かっこいいといってくれた、あの子の気持ちにウソはなかったと思います。

私、あの時、ボディビルやってよかったと感じたんです」チャンスがあればもう一度ステージに立ちたい、と考えることもある。もし現役に復帰するなら、二年はびっしりとトレーニングをしなければいけないだろう。ボディビルは体力以上に気力が大きな要素だ。とことんまで自分を追い込んでいく精神力があればコンテストで結果は出せる。「だけど、今はとてもそんな気持ちになれない。

やることがいっばいありすぎて、バーベルが生活の中に入り込む隙間なんてないんです」吉田由加(90年ミス東京、木樹勢子(90年ミス日本、上野結花・・・ボディビルを通じて、ライバルでもある友人たちに恵まれたことも大きな財産だ。彼女たちもほとんどが引退したが、今でも連 絡は取り合っている。「こうしてボディビルの話をしていると、勝負師の血が騒いじゃう。

現役復帰は難しそうだから、できることならコンピューター・グラフィックスを使って、九一年の私と今の日本選手権上位の選手たちを比べてほしいな。えッ、西本さんってそんなに背が高いの。水間さんは、私と背丈、あまり変わらないんでしょ。べストシェイプで三人が並んだら、ジャッジも採点に苦労するだろうね。うん、でも、私、自信ありますよ」 あら、もうこんな時間だこういうと、義父母を入浴させるために彼女は立ち上がった。Tシャツにジーンズという彼女の後ろ姿は、見事な逆三角形だった。

 

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